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[コメント] 沙羅双樹(2003/日)

「空間」を考えなおすこと。
ちわわ

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







この映画はDVDで見たのだが、特典映像があり、それが興味深かった。 なかでも監督が、「風」を撮りたいと言っているのが心にのこった。

花々がそよ風に吹かれて揺れているところ、それをカメラに収めることが たんなる効果ではなく、必然性を持っているところ、そこにこの映画の 生命があるのだろう。

私たちは「空間」をひどく安っぽいものととらえてきたのではないだろうか? 空間というとまず、ものの配置であり、役者が行動する舞台である。

たとえば、奈良町を舞台にしたこの映画で、普通期待されるのは、奈良町の 伝統的町並みであり、歴史的情緒である。 奈良という土地の地図上の位置づけなども、想像されよう。

しかし私たちが直に体験している空間は、もっと直接に情動に作用する 空間である。縁側で寝転んで体験される夏の光は、もうそれだけで、 何の意味にも固定されることなく、私たちに直接作用する。 そよ風も、猫も、雨も、家のなかの柱の木もそれに町それ自体もそうだ。 そんななかで、いろんな意味の生起を私たちは体験していると言えるだろう。

人のほかの人への「想い」は、そういった空間にまさに溶け込むようにして、 体験されている。 この映画でも「ケイ」という死者がいるわけだが、この死者への思いもまさに こんな空間のなかで玉虫色に変化しながら、いろんな意味をもちえるのであろう。

「陰光」。 最初は、変な言葉だと思ったが、なるほど映画を要約している 言葉だと思う。

蛇足だが、 下駄、炭、元興寺周辺の町並み、壊されつつある旧家など、 ある種の旅行気分も楽しめた。このあたりは炭作りで有名だよね。

(評価:★4)

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