[コメント] 黒い蠍(1957/米)
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コマ撮り(モデルアニメーション)と聴くとまっさきに思い浮かぶのがレイ・ハリーハウゼンである。シンドバッドや神話の世界、はたまたSFまで見事に表現してしまう彼の技には、昔から驚き感動していたものである。この際、特撮好きを自負する人間がハリーハウゼンの洗礼を受けてないのならば、そいつはモグリだと断言してしまおう。
そんなハリーハウゼンの師匠は、かの名作『キング・コング』で、彼と円谷英二に特撮への野望を抱かせたウィリス・オブライエン。後にオブライエンは弟子になったハリーハウゼンと組んで『猿人ジョー・ヤング』を作り、見事オスカーを獲得した……まではよかったが、その後が続かなかった。彼自信が立ち上げた企画はことごとく没になり、腕を振るう機会が無かったのだ。そんな中手掛けた本作は、弟子のハリーハウゼンとの「腕」の差が、顕著に現われていた。
動きに関しては節足動物独特のカサコソ感があり、CGやアニマトロニクスでは出せない味をかもし出してはいるのでこの辺は好きだ。が、残念なことに合成が誉められたものではない。場面によっては、巨大サソリの身体に背景の映像が透けていることもある。まあダイナメーションと同じことをやれといわれても無理だろうが、何とも不自然さを感じる合成にはちょっとガッカリ。むしろ人間と絡む合成場面より、コマ撮りだけの場面とかの方がよく出来ているのが救いか。クライマックスで軍隊と戦う場面などは、かなり迫力があるのだが。
もう一つ残念なのは監督の腕。オブライエンの腕をフォローするような演出が全く無く、予感だけさせておいて巨大サソリが登場するまで30分以上あるというのも、期待させすぎてガッカリという感情を増幅している気がする。複合的な理由で、あえなく幻の名作とはなれなかったか……。
ちなみにハリーハウゼンが『シンドバッド7回目の冒険』を撮ったのはこの翌年。師匠と弟子とでここまで技術の差が出来るとは。まさにその世代交代を感じさせる一本。
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