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[コメント] 命(2002/日)

純文学とは何ぞや?
Linus

※(前置き)別に映画評ではないし、あえてシネスケに書かなくてもよくて、 自分が思っていれば済むことなので、消すかもしれませんが、 今、「書きたい衝動」があるので、文章に起こしてみます。

私は、この「命」という本で、スッパリと柳美里ファンを辞めました。 本は本棚にたくさん並んでいると、頭良さげに見えるので、だいたいカバーを とって、タイトルがわかるように置くんですが(友達に読書家なんだねー と誉めて貰うために)、流石にこの本だけは恥ずかしくて、 カバーをとれませんでした。その後、古本屋さんに売ってしまったけど。

私が年上の友人に「ナルシズムって、自虐的ってことなんだねぇ〜」と、 「命」を買って読んでしまった恥ずかしさを払拭するために、ふと感想を漏らしたら、 「そんなこと、やっとわかったの?」と一蹴されてしまいました。

さて最近「純文学」って何ぞやって思うんです。私の読書経験から言うと、 物語が転がらず、内省的(あるいはミニマル?)な文学、と勝手に 定義していたと申しましょうか。 大江健三郎「セヴンティーン」、夏目漱石「こころ」、村上龍「限りなく 透明に近いブルー」、坂口安吾「青鬼の褌を洗う女」、太宰治「人間失格」、 三島由紀夫「仮面の告白」・・・何度読みかえしても面白いんですが、 ストーリーは転がってないなぁ、と感じるわけです。

で、こういう内面の世界、日本文学はよくイコール私小説だと言われますが、 それが悪い部分でもあると言われ続けてもきました。で、柳美里さんです。 私生活晒しだし系と呼ばれてもいいくらい、かなりの身内ネタを書いてきた わけです。それこそ、半径3メートル世界。でも、こういう世界って、 ネットが普及した今、誰でもがホームページで日記に書けるわけで、 それこそ、赤尾敏の親衛隊をやってた人が、ホームページに「セヴンティーン」ばり に書いて、しかも文才あったら、プロの作家でも、右翼実際やっちゃった人にはかなわねぇな〜って状況になると思うわけです。

なんで赤尾敏なんて古いネタを出したかと言いますと、その昔、長井秀和くんの お笑いライブに行って、アンケートの職業欄に「赤尾敏の親衛隊」と冗談で書いたら、 長井くん本人から「本当ですか〜?」と家に電話がかかってきたのでした。 (超自慢! それを書きたかっただけですけど…)

SMの女王様、風俗嬢、ゲイ、ドラッグ常習者、自殺未遂してる人、 筋金入りのヒキコモラーなど…こういうこと実際やってる人には、 「純文学」なんてかなわねぇな〜って時代に入ってしまったと思うんですよね。 誰が、金出してまで読むか! ネットで読めちゃうもーん! な現代であると。 でもって、純文学とホームページの日記の差異はあるのかなぁと。 プロとアマの差? 文章力? んなモン誰が決めるの? 賞取ったら価値が でんの? でも沢山の人に読まれることこそ作家冥利じゃーん! 

ってことはですよ。柳さん、かなり激ヤバな時代なんだよって、わかっている んでしょうか? 身内ネタ(半径3メートル世界)は、今や素人さんがやる一発芸で、 それじゃ作家としてあまりにプライドないだろうって感じです。 だから「ゴールドラッシュ」みたいな物語世界に戻った方がいいよ…と 思うんですけどねぇ。

あっ、なんか昔のファンとして、応援レビューに変化してる(笑)。 そんなことを、ふと考えるこの頃なのでした。

(追記)えっ。山口二矢って、赤尾敏の親衛隊だったの?(検索でわかった) げげっ。ってことは、大江の「セヴンティーン」「政治少年死す」って・・・。 無知ってコワイですね。一つ、勉強になりました。(一人で納得してる)

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