[コメント] 座頭市地獄旅(1965/日)
挿話が使い捨てにされない。本筋が人の性格を説明するイベントも兼ねる。ミッキーのダンディズムが自己愛に墜ちないのも筋の経済性の賜物だろう。が、この蓋然性の牢獄は勝新がどんどん掘り当てていく善人たちを曼荼羅のような統一体へはめ込んでしまう。
互いに固着するところに善は生じるが、その非弾力性で収拾がつかないのである。
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