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[コメント] 江戸最後の日(1941/日)

私が見たのは72分版。多分、オリジナルが95分だと思われるので、約20分カットされた短縮版だ。江戸城無血開城を、ほゞ勝海舟−阪東妻三郎一人に焦点をあてて描いた映画。
ゑぎ

 まずは、西郷隆盛の扱いについて物足りなく感じる観客が沢山いるだろうと推測できるが、私はこの点は逆に本作の良い部分だと思った。本作の西郷隆盛は、序盤の山岡鉄太郎−戸上城太郎との会談場面で、唯一後ろ姿として登場するだけなのだ。これはカット版の所為(西郷の場面がカットされた)ということではないだろう。

 この西郷(の後ろ姿)登場ショットは屋内での下降移動で表現されていて、本作は全般的に、屋内外を問わず多分クレーンを使ったと思しき移動ショットが多用され、見応えのある画面がよく造型されている。例えば、官軍の進軍に怯え、騒ぎたてる市中の人々を俯瞰からクレーン移動で見せるショット。あるいは、終盤の、上様(慶喜)−尾上菊太郎が水戸へ出発する際に、大勢の旗本たちが見送る場面の俯瞰のパンニング。そして、ラストカットも、勝海舟邸の庭先から、クレーン上昇移動し、さらにティルトアップして空を映すといった具合だ。

 最初に書いた通り、阪妻が出ずっぱりでもって、彼の迫力芝居でプロットを牽引する映画だが、勝海舟の度量の大きさと同時に、隠蔽されている(画面には出てこない)西郷の大人物ぶりを描くという点においても実に上手くいっているプロット構成(スクリプト)だと私には感じられた。そんな中で、西郷は当然、勝にも疑念を隠さない榎本武揚−志村喬と大島圭介−大沢健司の存在が効く。尚、大鳥圭介の従者のようなかたちで登場する原健作が、中盤まで勝の命を狙っていたのに、いつの間にか勝に心酔し警護している、といった描き方になっているのは、これはカットされたプロットがあるに違いないと思わせられる。

 あと、思想傾向的な話になり、映画の話から遠ざかってしまって恐縮だが、全面戦争を回避すべく一人奔走する主人公の描き方について、対米英戦争突入に対する批判であると裏読みすることも可能だとは思うが、しかし、それ以上に、私には、列強からの侵略を憂い、外国との戦争に向けた軍備の必要性を説く姿勢の方が強調されているように感じられた。お国に対する誠実さ(真心)とは何か、という命題を考えさせることに収束する作劇は、良かれ悪しかれ国粋主義と云うべきだろう。

(評価:★3)

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