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[コメント] レイジング・ブル(1980/米)

求めることで逃げていくもの。求めないことで得るもの。そのどちらもあるから人生とは皮肉なものです。
甘崎庵

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







 話題性を持つ作品をいくつも作り上げてきたスコセッシ監督の作品で、実在の人物をモチーフとしながら、しっかりエンターテインメント性を高めた傑作となっている。

 本作では様々な映像的な試みがなされているのが特徴で、ラモッタの過去は全てモノクロ映像で仕上げ、しかもボクシングのシーンでは接写スローモーションでパンチのダメージを直接的に伝えてくれているし、まるで別人と見まごうばかりの一人の人間の過去と現在を交錯して描くことで、人間の栄光の儚さと、それでも生きていくことの意味のようなものを感じさせてくれる。

 そしてその難しい役に見事に応えたデ・ニーロの実力も知るべし。『タクシードライバー』(1976)の時と言い、デ・ニーロとスコセッシは確かに名コンビといえるが、それだけ苦労を強いられるようだ。本作でデ・ニーロは25キロも体重を上下させたというのは有名な話だが、それだけではなく、20年前のボクサーと今の興行主の性格もまるで別人に見えてしまう。実際に20歳の年齢差が確かにあるように思わせてくれるのだ。この性格の差を演じることこそが本当の目的だったのではないかと思われる。この二人の描写の違いは、20年前のラモッタは腕っ節は強く、誰からも憧れられる人物だった。だが、栄光を追う事に汲々とするあまり、一旦得たものをなんとしても失わないように、自分の思い通りに動かそうとする。その部分の神経質さがその時のキャラクタ描写になっているのだが、一方20年後の姿は、確かに太ってとても強そうに見えないのに、いつも笑みを絶やさず、どれだけ卑屈になっても余裕が見られる。全てを追い求めていた時代と、全てを失ってしまった後の人間。底辺を見てきたからこその余裕というものがそこにはあった。だから、観ていくうちに、一体どっちがラモッタにとっては幸せなんだろう?と言う思いにさせられていく。おそらくその混乱こそが、本作の狙いなのだろう。だからこそ、この二つの時間は切り離せないし、切り離さないからこそ、本作は傑作たり得るのだ。

 ただ、二層構造を持つが故にストーリー全体の盛り上がりが今ひとつで、中だるみもあるため、その部分で多少退屈を覚えることもあり。

 本作はスコセッシ監督らしい実験的作品のように見えるのだが、実は前作『ニューヨーク・ニューヨーク』は興行面で大きく失敗してしまったため、スコセッシは背水の陣で臨んだらしい。そのためにいい加減さを排除し、徹底的に緻密に舞台描写から撮影方法まで研究し、2年の準備期間をかけて勝負をかけたのだそうだ。あくまで上を見ている監督の執念と言った感じだ。

(評価:★4)

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