[コメント] 11′09″01 セプテンバー11(2002/英=仏=ボスニア・ヘルツェゴビナ=エジプト=イスラエル=メキシコ=日=米)
映画を見終った人むけのレビューです。
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まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
ケン・ローチ編やユーセフ・シャヒーン編で示されるように、同時多発テロ事件の死者を遥かに上回る数の死者をアメリカは産み出してきたし、今も産み出している。「9・11」を考えるうえでそれは踏まえておかなければならない視点なのだろう。
ただこういった視点にはおさまらない、別種の衝撃があの出来事には存在した。その「別種の衝撃」が何であったか、そのヒントを提示してくれるような視点の登場を今回の企画に期待していた。(そのような意味でケン・ローチ編は、ニュース番組に寄稿すればよかったのではないかと思ってしまう。ピンとくるようでいて、実はそれほどピンとこない。)
同時多発テロ事件と言われて真っ先に頭の中で思い浮かぶのは、貿易センタービル(WTC)に飛行機が突入する映像とビルが崩落する映像である。不謹慎を承知で言うなら、世界中に衝撃を与えたのは、死者の数以上にあの映像ではなかっただろうか。その証左として、「9・11」といってワシントンDCの国防総省に突っ込んだ飛行機やピッツバーグに墜落した飛行機のことを思い浮かべることは(何百人もの死者を産み出したにもかかわらず)あまりないのではないか。それは映像が残ったか残っていないかの違いでしかないのだが、あのように映像として残ってしまうことで頭から焼きついて離れない。
11本の中で、歴史の考察や世界の秩序、平和といった視点にはほとんど目を向けていないショーン・ペン編が一番印象に残った。実は話の中身がよく飲みこめているかどうか自信はないのだが、敢えて解釈してみたい。
妻を失ったあの老人はかなり痴呆が進行していたのだと思う。最初は意識的に話し掛けているのかと思っていたが、あの最後を見る限りでは、少なくとも何かに酔っていた。そしてビルが崩壊し、老人の部屋に光が与えられる。老人は喜び、妻にもその喜びを伝える。そこで、老人はふと視線を別の場所に向ける。あそこで老人はテレビで映し出されたWTC崩壊の映像を見たのか、その崩壊によって妻の不在を感じたのかは明確にはわからない。いずれにせよ、光を得たことで失ったものに気づいた老人の嘆きの心情が痛く突き刺さってきた。
光がぱっとさして、やがて悲しみが襲ってくる。貿易センタービルの映像にはそれと似たものを感じていた。あのとき、私はすぐに飛行機突入と崩壊により命を失った人達のことに思いを馳せることはなかった。考える以前に皮膚感覚で感じたのは、ビルを取り巻く空が不気味なほど青かったこと。ビルが崩壊し、かつてビルが存在していたはずの空間にまで空が満ちていたこと。空の無関心を思った。その後、そのことによって死者が大量に出ていることを考え、胸が詰まった。それと同時に先刻、空が広がったと感じていた自身に恐怖心を抱いた。本能では思考と別のことを感じていたのだ。ショーン・ペン編での老人の反応のタイムラグは、そうした本能と思考のタイムラグをついていた気がした。「言いたいこと」というのは思考のすえに考えぬかれたメッセージを意味すると私は思うのだが、それだけでは収まりきらない人間のなかにあるさまざまな感情、それを掬いとるのも映画の一つの役割だと考えるなら、ショーン・ペン編はぬきがたく映画的であった。
あの出来事には大きな衝撃を受けた。事件の数日前まで私がニューヨークとDCに滞在していたという事実、まだ街の風景が生なましく思い出されていたところへの衝撃、たとえそうしたことがなかったとしても、たぶんそう思ったはずだ。多くの犠牲者たちやその家族や関係者に対して不謹慎かもしれないが、テレビやニュースで報道されていることとは別種の衝撃がそこにはあった。そうした側面を映し出そうとするこの短編集は、果たしてそのことに成功したかどうかは実は疑わしいものの、たいへん意義深い企画であったと思う。願わくば、ジャン・リュック・ゴダールやスティーブン・スピルバーグ、ドイツや中国圏出身監督による視点もみてみたかった。ただこの企画に限らず、「9・11」が陰を落とした作品はこれから次つぎと発表されていくに違いない。
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