[コメント] 11′09″01 セプテンバー11(2002/英=仏=ボスニア・ヘルツェゴビナ=エジプト=イスラエル=メキシコ=日=米)
映画を見終った人むけのレビューです。
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それぞれニューヨークからほどよく離れている監督たち(ショーン・ペンは除く)の「アメリカ観」が伺えて面白かった。
はじめのサミラ・マフルバフ監督、庶民層におけるインテリと一般人の温度差がちょっとおかしいような、笑えないような。あの子たちがなんで学校を放って働いているかといえば、アメリカの核攻撃に備えてであり、先生はそのことを「バカどもめっ!」って顔して眺めてる。そんな先生が「ニューヨークの死者のために祈れ」と命令しても、あの子たちはニューヨークのことなんてこれっぽっちも考えていないんだろう。
クロード・ルルーシュ監督、実にシンプルなおはなし。こういうの、シンプルすげて、他とかぶるりそうだから避ける人がほとんどだと思ったけど、以外とないのね(ショーン・ペンがかぶってたな)。あのビルに関わっていた人たちの様々なドラマを感じさせてくれるような作りだった。でも、フランス語で会話してるんだね。
ユーセフ・シャヒーン監督は、いろいろ錯綜しておられるようだ。あの事件から一貫してアンチアメリカの立場をとるエジプト、自爆テロを起こす若者、テロの犠牲者アメリカ兵、一年やそこらじゃ整理しきれないんだろう。映画自体もなんだか混乱していたけど、まあ、そういうことにしておこう。
ダニス・タノビッチ監督、女たちの静かなデモ行進。大きな声で叫ぶことなく、諦めたような顔をしての行進。「不死鳥プロジェクト」なるものの終結を宣言できるアメリカと違う、ボスニア=ヘルツェゴビナ。蹂躙される側は、いったいいつになったら復興できるのか、と届きそうもない叫び。
イドリッサ・ウェドラオゴ監督、笑わせてもらいました。貧困や病気とか、かなり重い日常を孕んでいても、子供たちよ、明るく逞しく生きてくれい。
ケン・ローチの作品は、ローチの映画というより、ペドロ役のウラジミール・ベガの映画でしょう。彼は本当にチリからの亡命者だそうな(『レディバード・レディバード』のパンフにそう書いてあった)。いつも「ほんもの」の力を借りて彼らの問題に肉薄しようとする監督、このタイトルでこの視点とは、手厳しい。
アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ 、この映画中一番の駄作。なんなのさ?この予告編みたいな作りは。「これからに注目!」なんてそんな視点を私は求めちゃいない。だいたい予告編に11分もいらん。30秒でいい。11分9秒ももらっているんだから、映画作れっての。
アスモ・ギタイ監督、大変だね、イスラエル。アメリカがくしゃみをすれば、風邪を引くらしい。シャヒーン監督編とは違って、イスラエルの視点のみ、というのが興味深かった。ショッピング番組を流せるほど、国内情報はゆたかなようでも、対外情報は少ないのだろうか。
ミラ・ナイール監督。アメリカ国内の、マイノリティのお話。インドの話ではないけれども、関係が危ういお隣の話をもってくるとは、インドはそういうところ寛容なのかね?自分の映画をさりげなく流すとは、なかなかしたたかな人だ。
ショーン・ペン、シンプルな作りを目指したんだろうけど、残念だね。ルルーシュと被っちゃったよ。しかも向こうのが面白かった。じじいが死んだ奥さんを大事にしているのはわかるけど、遺品は少ないし、写真もないし、じじいの人柄だけでその人為りを想像しろといわれても、ちょいとつらいです。相手がイメージしにくいので、ドラマとしてもイマイチ。長く感じたよ。
今村昌平 監督、あんた、字幕使わなきゃ、言いたいことを伝えられないんかい。しかもなぜに蛇?
この映画の某国での公開予定がまだない、というのは、それ自体が冗談みたいだ。某国よ、民主主義ってのは、小さい意見もきちんと拾うってことじゃないのかい?
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