[コメント] 昭和残侠伝 唐獅子仁義(1969/日)
映画を見終った人むけのレビューです。
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待田京介の役柄(イタチのなんちゃら)がまったく意味不明。あっち付いたりこっち付いたりでいたずらに話をややこしくしている。早く言や不要。象徴的なのが勝手に助っ人として参加する殴り込みのシーンで、ピストル2丁も持ってるのにまったく活躍しない。つーかここでこいつに活躍を期待する奴なんか誰もいやしない。なんで出てきたんだという。
葭町芸者だったおるいさん(藤純子が演じているせいか、早口だと「おりゅうさん」に聞こえる。すんまそん)は亭主でやくざの風間重吉(池部良)と流れ流れて長野県までやってきたという設定だが、なぜか実の弟まで同じ町に住んでて、「まだ子どもなのに」亭主とは敵対する組織でやくざをしている。なんでなんだろう。
秀次郎(高倉健)をつけ狙う雷門一家の曽根晴美は、いつの間にか樺島一門の一員になっていた気がする。これは人違いかしらん。
おるいさんが突如拳銃で撃ち殺されてしまうのもなぜだかわからない。おそらく健さんか池部良か、あるいはその両人を撃とうとした犯人?の狙いがズレたのだろうけど・・・?
マキノ雅弘は濡れ場というか情欲絡みの男女の遣り取りは描くの下手な人なんじゃないの? 藤が池部に「抱いて・・・!」もやや気持ちが泳いだが、宴会中の客を呼び出して、襖を開けると床が敷かれてて・・・って、これじゃいくら相手が藤純子さんだって僕でも据え膳食べない。ような気がしなくもないないシックスティーン(←論外)。
70/100(22/1/5BS放映)
今日、「死んで貰います」も(あらためて)見たが、僕が観た中ではやっぱ一番は「血染めの唐獅子」だ。上野での開催が決まった博覧会の建築を請け負う火消しの鳶政組の、健さんが頭役を演じてた回。話のスケールが違うし、ドラマとしての美しさがある。「死んで〜」なんて世界が半径2メートルだし、健さんにたいした我慢もないし、ゆえにそこから生じる苦悩もぬるい。◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇以後「〜死んで貰います」のネタバレっす。すみません◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇山本隣一が喜楽の2階で「今度こそお前にイカサマを見抜かれぬよう修練してきた」とかいうのもなんともションぼい話だし、それを藤純子が受けて「刺すなら私の手を刺して」とか立ち回るのも輪をかけてションぼい。白けちゃった。だいたい殴り込みの主客も転倒してるというか、このこと自体は工夫なんだろうけど、主体は重吉さん(池部)で、秀次郎(健さん)は途中から参画してた。バックの主題歌(唐獅子が背なで「鳴いて」た。「吠え」てたはずだけど)は確かにそこで切れてたがね。長門がこれに参画しないのも、弟(津川。学生書生風の流しの役でちょっと出てた)はわりと加勢させてもらってたのに、なんか可哀相な気がしたわ。主体なはずの重吉も相変わらずさっさと死んじゃうし。ただ、死んだ重さんの頭をほとんど顎の下に抱え込んだ秀次郎の図は、これまでの2人の関係の中で、もっともホモチックな図柄でなかったろうか。少なくとも僕が観た中では。いい人にはこれがいいんだろう。確定。あと、他の回では確かに「死んで貰います」と言ってたが、それがタイトルになってるこの作では「死んで貰うぜ」と言ってた。
(22/1/6追記)
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