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[コメント] 点と線(1958/日)

北海道と言えば
くたー

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







飛行機で行く場所、というのが常識となった現代からこの原作を評価するのは、いささか分が悪いトコロがあるのは仕方がないとして。それでも、日本の推理小説史で時折語られることのある本作には、その分の悪さを越えた何かしらの魅力があるのだろう。

そこで「点」と「線」。点と点の間に線が生まれる時に得られるカタルシス。そしてそれが読者に与える衝撃の増減は、ひとえに点と点の間の隔たりの大小に左右される、と思う。この映画で最も不足してるものを挙げろと言われれば、その隔たりの描写、演出ではないだろうか。

例えば東京と九州の風土の違いとか、間を行き来する人間の徒労感とか、そういったものが再現できてはじめて、こちらも隔たりを体感でき、話に乗れるのである。少なくとも原作にはそれがあったと思う。原作にあった鳥飼と三原の間の手紙の遣り取り。ところがそれを、映画では省いている。それ一つとっても「ああ、これはダメだな」、と。手紙という些細な小道具だって、十分隔たりを演出できるワケで。

とはいえ、そんなものがなくても当時の人なら、当たり前のものとしてその隔たりを受け容れられたのかもしれないので、多少酷な指摘なのかもしれないが。いや、でもそれを置いたとしても平板な印象は否めない。例えば原作序盤の鳥飼と娘の遣り取りを初めとした、一見些細に思えて実は大きな役割を持っている描写が、実にあっさりと省かれているし、物語の構成をいじくったことで逆に平板になっている、とも思う。

少なくとも原作の鳥飼には、地方で骨をうずめる老刑事ならではの味があったし、三原との意識のギャップを描くことで、都会と地方、世代間の隔たりも描かれていたし。毎度のことながら原作を引き合いに出すのも申し訳ないけど、再度強調しておきます。隔たりの欠如が敗因かと。

追記:再三原作原作言いながら、それほどまでにこの原作が好きなのかと言われれば、実はそうでもないです。アリバイ崩しだったら、鮎川氏の諸作の方が好きです。

(2007/11/14)

(評価:★2)

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