[コメント] 大殺陣(1964/日)
人体を破壊するというよりも、この作り事からどうしたら人体を破壊したという実感を得られるのか、という焦燥があり、さらにこの感覚は逆転して、これだけ焦燥するのだから、何かが起こったという実感は生まれるだろう、という願望がある。
事の大きさに似合う憎悪をあえて設定しない文芸に体がついてこられないように見える。
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