[コメント] キートンのハイ・サイン(1921/米)
天性のギャグマンであることの豊かさに満ちているSO-SO作品
キートンの初監督作でありキートン・プロの第1回作品。しかし、キートンがその出来に満足しなかったために長い間公開されることのなかった初期作品として知れ渡っている。チャップリンより6歳若いキートンであるが、そのコメディに対する志向性はまた軸の違うベクトルで、気鋭に満ちた意欲的な施しとなっていて確かな技術が感心を呼んでいる。この初監督作で手に入れたキートンの作家性をチャップリンのそれと比較するならば、チャップリンがパントマイムにその妙技を見せる芸風ならば、キートンはアクロバットにその芸の謂われがあるという差にこそある。チャップリンが能動的に世界を茶化してみせるなら、キートンは受動的に世界に投げ出されたところで加速するという按配なのだ。このスタンスの表れは本作の冒頭で、乗っている汽車から投げ出されるように舞台に生まれ落ちるというキートンの登場の仕方がまさにそれで、また出自がヴォードヴィリアンの曲芸師として、重力や引力など地球の運動法則の中で身を委ねるところから芸が生まれるという身体性に培われた経験値が真髄である。それが作家の創造性においてコミックな世界として提示される時、そのナンセンスが虚構的な装置として出現するところにキートン喜劇の旨みがある。ゆえに知的な風貌を持つキートンのギャグ空間は、パフォーマンスという人介を持ってして可能となるところを越えたエネルギーに唯一無二の魅力を湛えて孤高である。
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