[コメント] 転校生(1982/日)
映画を見終った人むけのレビューです。
これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
[1]『転校生』再評価
原作は『おれがあいつであいつがおれで』という、錯綜した状況をそのまま題にしたような秀逸なタイトルの作品。山中恒って人は、TVシリーズ『あばれはっちゃく』の原作者でもある、主に児童読み物を書いていた人(最近――といっても5、6年前か――妹尾河童の『少年H』に膨大かつ詳細な資料批判をしていたが)。この『おれあれ――』も、確か主人公二人は小学6年生の設定だったはず。だが、桜間長太郎のような「手のつけられない暴れん坊」が大活躍する類の作品群の中で、『おれあれ――』は明らかに異色だった。
80年代初頭、少女漫画誌『なかよし』(講談社)に、これを原作とした『なんとかしなくちゃ!』(いでまゆみ)という作品が連載されていた(KC発刊は81年)。82年の映画『転校生』は、主人公を中学生(2年生くらい?)としているようだが、漫画の方は高校1、2年生の設定だった気がする。なぜ変えたのか、そしてまた、なぜ先行作である『なんとか――』への言及がないのか不明だが。私は、『転校生』はリアルタイムで観ていないのだが(というより、今回初めてビデオで観たのだ)、漫画の方はリアルで読んでいた。2歳下に妹がいたのである――言い訳する必要はないけど・・・、――妹は、今でもいますけど・・・2歳下のままで。
漫画を読んでから、原作を手に取ったのだが、私の記憶では、これが文庫本だった。児童向け読み物が文庫化されるということは滅多にないはずだから、それだけをもってしても、かなり「大人の鑑賞に耐える」という評価がなされていた証しではなかろうか。
だからこの映画も、大人が観て面白いのである。
[2]尾道物語
映画を観るのに、あまりロジカルになる必要はないのかもしれないが、少し感じたことを書く。
この男女二人の間に流れる感情は、激しく燃え上がる恋愛感情、というよりは、静かで穏やかな、長年連れ添った夫婦の間に流れるような親愛の情に近いのではないか。互いが、互いの存在にとって、必要不可欠な一部であり、分かち難い一体感を感じている――。二人が元の姿に戻ったあと、一美(小林聡美)が「一夫ちゃん、大好き!」と言って、一夫(尾美としのり)に抱きつくシーンがある。これは、一般的には、「激しく燃え上がる恋愛感情」の描写と解釈するのが普通かもしれない。だが、私はこれは純粋に「好き」の気持ちの表れではないかと思った。つまり、こんなにも他人をいとおしく思える、と知った喜びと、その喜びが自分に訪れたことへの喜び、さらには、それらの喜びが渾然一体となって、より相手をいとおしく想う気持ち――こんな風に考えた方が自然ではないかと。
なぜそう感じたかという理由をうまく説明することができないが、例えばこのまま(一夫の転校がなく)話が進んだとして、二人が熱烈な恋愛感情を育んだだろう、と想像するよりは、ある種の兄弟姉妹みたいな、落ちついた関係を築いていくのではないか、と考えた方がしっくりきた。そうなると、映画はもはやその表に「恋愛テイスト」をとどめることができず、別種の映画になってしまうから、「恋愛テイスト」を保つためのストーリー上の必然から、あの時点で一夫が退場(転校)する必要があったのだ、と――。
まあ、長年連れ添った夫婦の方から、「そんなもんじゃないよ」と言われてしまったらそれまでだけど。
映画を観ると、いつも最終的には現実に戻ってくる。こんなこと起こらなくても、こういう関係は築けるはずなんだ――
80/100(04/05/17記)
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