コメンテータ
ランキング
HELP

[コメント] ハードコアの夜(1979/米)

娘が見知らぬ怪物になってしまう『エクソシスト』系作品ながら、心情的には娘側から堅物オヤジを糾弾したがっている。そのねじれが中途半端な印象を残す。
ペンクロフ

厳格なカルビン主義の家庭で映画を観ることを禁じられて育ったポール・シュレイダーはミシガンの実家を出てから映画に出会い、UCLAで映画を学んだという。この映画の雪深きミシガン州で家具工場を営むオヤジは敬虔なカルビニストで、冒頭のクリスマスの場面では「ここに住めん奴らが西海岸へ行きテレビを作る」という老人の台詞がある。ポール・シュレイダーのインタビューを読んだわけじゃないが、彼が宗教ファック、田舎ファック、実家ファックと思っていたことは明白だと思うのだ。田舎は地獄。ハリウッドは夢が叶う街。

しかるにこの映画はなぜか実家側、グレた娘を探すオヤジの視点で進行する。なんだか不自然で苛々させられる。途中、明らかにポール・シュレイダーの代弁者であるニキという娼婦が相棒になる。ここに異文化は衝突し、映画は急速に社会派の様相を呈してくる。しかし結局2人はわかりあうことなく、オヤジは娘を実家に連れ帰ることとなる。ものすごく煮えきらない。この中途半端さは、主演に名優ジョージ・C・スコットをツモれてしまったせいではないだろうか。ポール・シュレイダーが旧世代のオヤジの気持ちを描きたかったわけはないと思うのだ。

(評価:★3)

投票

このコメントを気に入った人達 (0 人)投票はまだありません

コメンテータ(コメントを公開している登録ユーザ)は他の人のコメントに投票ができます。なお、自分のものには投票できません。