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[コメント] 夜の鴎(1957/日)

キワモノっぽい題材だし、未整理なプロットを詰め込み過ぎの感覚も残るのだが、それでもかなり面白い映画だ。何といっても、ヒロインの新珠三千代がいい。よく笑う。笑ってから泣いたりもする。ちょっと情緒不安定ぎみだが、そんなキャラが一貫して描かれる。
ゑぎ

 新珠に対抗する女優として、久慈あさみが出て来、ちょっとした悪女を演じるのだが、新珠の接し方は、まことにクレバーで、新珠の方が上手(うわて)だし、笑ってばかりいる女ではない、と思わせる。

 さて、佐分利信の演出は、随所でちょっと不思議な、キャッチーな繋ぎを見せる。例えば、本編中何度か、深川の橋(ラスト近くに清川橋というプレートが映る)の上が舞台となるが、最初に田崎潤と新珠が二人で歩くシーン。田崎が踊りながら歩く、という演出で、これも奇異だが、途中で自転車に乗った佐野周二が来て、二人の回りをぐるっと回ったり、こけかけたりする。これをアクション繋ぎではなく、ぎこちなく繋ぐのだ。あるいは、短いカット挿入は随所にある。例えば、佐野の家で、黒猫が最初に出てくるカット(新珠が驚く)。佐野と新珠の2人が、神社の結婚式を見る場面のロングショット挿入。こゝなんかも、ぎこちなさが、ヌーヴェルヴァーグみたい、と思ってしまった。また、雷雨のシーンの雷鳴から華厳の滝の轟音へ繋ぐ、という音のマッチカットにも驚かされた。

 あと、久慈と佐分利が住む家の造型が面白い。特に窓を意識して演出しているだろう。最初に新珠が借金取りで訪れる場面で見える窓外は、スクリーンプロセスだ。別に書き割りでも良さげなところだが、ちゃんと川と人々の様子を見せたかったのだ。あるいは、子供が木に登って本を読むのが窓から見えるカット。ラスト近く、佐分利が夜、帰ってきて、部屋の中の、新珠と子供の様子を見る場面も窓外からだ。

 尚、上で詰め込み過ぎとの印象を書いたが、例えば終盤の久慈の再々登場にもそれを感じるが、佐野の店(葬儀屋)の番頭の娘、かく子の奇矯な描き方が端的にうるさく思う。左頬に痣があるメイク(?)で佐野と新珠にまとわりつくのだが、大して機能しない役なので、もっと出番を減らしても構わないだろう。ちなみに演じているのは北条美智留(北条秀司の娘のよう)。忘れかけたころに、屋内での俯瞰カットが挿入されたりして、なぜか分からないか、佐分利には、この役への思い入れがあるのだろう。

#備忘でその他の配役等を記述します。

 ファーストカットは、双眼鏡の見た目画面。見ている人は、高堂国典。深川の材木問屋の主人だ。本作では爺というよりは、壮年期という感じ。その妻は、桜むつ子。この人もいつもより品がいい。二人の子供、長男が田崎潤で次男が佐原健二。田崎は新珠の夫(二番目の夫。新珠は先夫を病気で亡くして再婚)。

 材木問屋の番頭は佐田豊。佐原の彼女で河内桃子

 佐分利は絵描きだが、藤木悠は弟子(アシスタント?)か。画廊関係の友人で夏川大二郎が出て来る。佐分利は暇つぶしのように釣りに出るが、船や筏の場面で瀬良明大村千吉。焼き鳥屋の客の一人は出雲八重子だ。

(評価:★3)

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