[コメント] チャップリンの改悟(1916/米)
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単なる筋書きからドラマ性をもったストーリーの運びにエッサネイ期最後の作品として次なるステップに大きな意義をもった転換期のフィルムである。サイレントという制約上、ストーリーに配置される、プロット、キャラクター、演技などは記号的な象徴性をもって語りの構成要素となるものだが、ここではこれ以降のチャップリンドラマの重要なファクターとなる現象への意味付与性が確かな志向に基づいて企図されている点が、これまでの作品とは大きな隔たりをもって完成度は高い。エッサネイ期最後の作品、または1916年という新年に突入したという心機が、チャップリンをしてより意欲的な作品作りを可能にさせたことだろう。特にこの作品で目覚ましいのは、これまで登場する人物の職業人格は、ステレオタイプに過ぎるほどに画一化された固定的な描写が主であったが、本作の冒頭、チャーリーが出所して間もなく悪徳牧師が登場して一筋縄ではない世界観が提示される。物語の掴みにおいて作品をアンバランスな状態に宙づりさせる着想はこれまでの作品にはなかったトリッキーな仕掛で、見てのとおり直線的な物語の運びではあるが、ドラマに注視させる工夫への取り組みが向上してより豊かな劇構造となったことは確かな進歩である。フィルモグラフィ上は、『チャップリンのご難つづき』をもってエッサネイ社最後の作品とされるが、この作品はチャップリンが退社後、同社が余ったフィルムをつぎはぎして作った作品であるとのことなので、実質は本作をもって監督チャップリンの最終作品となる。いよいよミューチュアル社にその身を移して、製作をもコントロールしはじめたチャップリンの本格始動は、本作が伏線と見ることができるという点で価値がある。
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