[コメント] 続拝啓天皇陛下様(1964/日)
映画を見終った人むけのレビューです。
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子供の頃、学校総出で天皇を三時間海岸で待って船の煙だけ見たのと、昭和8年12月に皇太子が産まれ、握り飯貰って天皇贔屓。人間宣言の行幸を、結婚する宮城まり子と見に行っている。彼女は予科練の唄ばかり歌って、最期は赤ん坊産んで死ぬ。このラストは半端で上手くない。天皇話はそのくらい。
昭和19年北京郊外の軍犬部隊、訓練受けて軍犬兵になって部隊へ散って北支。翌年、八路軍が捕虜になった日本兵に、米軍はもう沖縄に進行した敗戦だと拡声器で呼びかけさせている。天皇の終戦宣言は浜村純の中隊長によって代読されている。みんな死んだのに負けたなんて殺生じゃと嘆く渥美。軍犬は放てと命令が下り、『南極物語』状態なのだが、再会するのかと思いきや特に何も回想されず、帰国して犬を献納した久我美子には名誉の戦死と伝えている。「戦争に負けちまってすまんのう。今度はきっと勝つきに」といいギャグ飛ばす渥美は久我に無法松の阪妻状態。
面白いのは華僑話。日中戦争で流行らなくなった中国人の散髪屋の小沢昭一と南田洋子に散髪してもらって出兵。戦後、小沢は日本人の三原葉子と一緒になって不法占拠で中華料理屋、後に隣にパチンコ屋も始めている。渥美は田中邦衛に叩き潰せと雇われて小沢と再会する。小沢は後半に妾との関係で刺されるのだが、新聞記事に「第三国人刺される」とある。普通に使われていた言葉だとはじめて知った。強制立退にあい、華僑の面子失くしたから南田とサイゴンに行く、私たち華僑に故郷はないヨと云わせている。在日本の華僑とはこんな感じなのだろうか。どこまで考証が行き届いているのだろう。
渥美は幼少のころ、先生の岩下志麻に抱きついて刑務所、出所してから肥やし曳きを生業にしてウンコ屋と子供らに揶揄われている。岩下はスケジュールの加減か再登場せず、久我とよく似ているなあと回想される。渥美は帰国後、担ぎ屋になって大阪城の下に住んでいるが、これは「日本アパッチ族」『夜を賭けて』などで描かれた在日コリアン集落と同じだろうか違うのだろうか。渥美が持っていた石鹸をMPが見咎め、日本人は外国製品を持ってはいけないと逮捕されているが、そんなのが犯罪だったとはじめて知った。朝鮮戦争特需でバタヤ部落が急増と部落が再現され、渥美はスクラップで儲け、戦後は「人身売買ふえる」という新聞記事が紹介され、パチンコ競輪が流行ったとある。結婚した宮城は『太陽の墓場』みたいな部落の泥川でザリガニを釣っている。
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