コメンテータ
ランキング
HELP

[コメント] 雪崩(1937/日)

公開当時「雪崩(なだれ)ではなくスダレ」と揶揄されたという話は笑える。登場人物の独白(心の声モノローグ)が多用されており、その際、何度か画面に黒い紗(蚊帳の生地みたいなもの)が上から降りて来るエフェクトがかかるのだ。
ゑぎ

 もとより、独白だけでなく、全体に科白が多く、さらに理屈っぽい。この点はまるで成瀬らしくない。これっていろいろ模索していたのかも知れないが、私はどちらかと云えば、天邪鬼でこんなこともやってみた、ということじゃないかと思ってしまう。

 しかしこれを失敗作と決めつけるのは早計だろう。映画らしさを損なうスクリプトに反するように、成瀬の映画的な技巧が完成の域に近づきつつあることも確認できるのだ。例えば、屋内での、あるいは歩きながらの会話シーンにおける切り返しの滑らかなこと。それも何度か軸線無視のカメラ位置転換(ドンデン)が行われる。また、緩やかなドリー移動の使い方。本作においては、以前のような急速なワザとらしいドリー寄り連打みたいな演出はもう使われていない。他にも、フラッシュバックも含めたシーン繋ぎでキャッチさせるテクニックは、もう全く成瀬らしい。

 例えば冒頭近く、日本髪に結った着物の女性・フキ子−霧立のぼるが登場し、ゆるやかなドリーで彼女に寄る。霧立が「あれからもう一年」と声に出して云ってすぐ、素早くディゾルブして洋装の霧立に繋ぐ、この処理の驚き。こゝからフラッシュバックが始まるという流れるような語り口だ。洋装の霧立と彼女の夫−佐伯秀男との会話シーンは切り返しで見せるが、肩なめでドンデンの繋ぎもある。フラッシュバックが開けて、佐伯の父母(霧立の義父母)−汐見洋英百合子が登場し、車の中で、息子の嫁には本当はヤヨイという女性が良かったという話を始める。すると唐突に森の中を前進移動するショット。次に後退移動で佐伯とヤヨイ−江戸川蘭子が歩くのを捉える。こゝで「やっちゃんが好きなんだ」と佐伯に云わせる。さらに、このシーンの終わりには佐伯と江戸川が映った写真(アルバムの1頁)に繋がれ、それを見る着物姿の霧立が映る、というこのカッティングもなんて面白いんだろう。

 また、終盤の鎌倉のシーケンス、佐伯と江戸川、佐伯の父−汐見の3人が江戸川の別荘に集まる一連のシーン繋ぎも実に流麗だ。最初に汐見が電話をかけるシーンがあり、汐見が「鎌倉?」と云う。次にカウンターのカクテルが繋がれ、ティルトして江戸川や佐伯を映す。こゝはナイトクラブのようで、踊る男女がいる。アコーディオンにディゾルブしたり、2人の会話をこゝでもドンデンで切り返して見せたりしながら、ディゾルブして踊る2人やアコーディオンをまた繋ぐ。次に江戸川が先に別荘に入ると、汐見がいる。一人でカードゲームをしていて、これで10回もやったと云う。泣く江戸川。「我慢してくれるね、そうペイシェントだ」なんて科白。そこに佐伯も入って来て父子の対峙が続く。このシーンの最後には素早く暗転して霧立のバッグ(佐伯が送ったもの)、ティルトして霧立の笑顔の斜めバストショットに繋ぐのだ。また霧立の笑顔が美しい。

 全体、成瀬作品にまゝある誰にも共感し難い作劇で、それは佐伯や江戸川だけでなく、霧立も美しいが木偶の坊のような役柄と思うし、汐見の理屈っぽい教条主義も鼻白む。しかし、やっぱり映画は何が描かれているかではなく、どう表現されているかが重要だ。そういうスタンスに立って見れば、本作も実に面白い作品だろう。

(評価:★3)

投票

このコメントを気に入った人達 (0 人)投票はまだありません

コメンテータ(コメントを公開している登録ユーザ)は他の人のコメントに投票ができます。なお、自分のものには投票できません。