[コメント] 敵は本能寺にあり(1960/日)
NHK大河ドラマ的作り。[Video]
すなわち、光秀が主人公なら、彼を盛り上げるために信長も秀吉も自動的に大悪党ということになってしまうのだ。安直な限り。
んで、その次の年の大河ドラマは秀吉が主人公になったとしよう。そうなると昨年までの人間的な深みのあった男はどこへやら、光秀は主君にたてついた悪逆非道の謀反者になってしまい、一転秀吉のほうはその謀反者を見事に討ち果たしたヒーローに成り変わってしまうと、こんなわけだな。
とにかく主人公以外の人物の造形がステレオタイプで、本作で言えば「信長=短気でワガママな頑固者」「秀吉=信長に猿と蔑まれながらも権謀術数を腹に秘めている」「家康=煮ても焼いても喰えないタヌキ親父」ってところ。
それでも、主人公が信長か秀吉だったらまだ見応えがあるかも知れないけど、光秀でしょ。地味〜。
(評価:
)投票
このコメントを気に入った人達 (0 人) | 投票はまだありません |
コメンテータ(コメントを公開している登録ユーザ)は他の人のコメントに投票ができます。なお、自分のものには投票できません。