[コメント] 霧の中の男(1958/日)
自分の悪行を何でも他人のせいにしてきた男が、甘ったれたままにママ代わりの女の腕の中に戻ってゆく物語。もう慎太郎のナルシズム映画は観まい、と固く誓った。
**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。
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主人公は「俺はキカイだ」が口癖だ。なんとなれば、北支(ママ)戦線でふたりだけ生き残って親友を逃がし、その咎で炭鉱で何年も働かせて人間性を奪われたからだそうな。だから親友を殺し、他の人間を殺すことで少しずつ人間性を取り戻してゆくのだという。そして親友の弟に拳銃を渡し、自分を撃てと命じ、その幸福な結末を叶えてくれない弟を卑怯だとなじるのだ。
馬鹿も休み休み言え、である。
慎太郎は自分で戦場に身を投じた世代ではない。太平洋戦争を知っている世代だといえ、所詮はブルジョアのボンボンであり、体験した戦場といえば物見遊山気分で出かけたヴェトナムくらいだ(恐ろしいことに、ここで北ヴェトナムゲリラに向かって機関銃の引き金を引こうとしたことをのちに述懐している。能天気なオヤジだ)。そんな男に戦争など語って欲しくない。まだ戦中派の武勇伝でも聞かされたほうがマシだ。
ラスト、主人公が殺した親友の情婦が主人公を撃つ。そして、私が本当に愛していたのはあなただったかもと告白する女の腕で幸福そうに男は死ぬ。おめでたい話である。これが本人が書いた脚本であるのだから、もう俺は慎太郎の関わった映画なぞ観ようとも思わない。
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