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[コメント] 嫁ぐ日まで(1940/日)

前年に松竹から東宝へ移籍した島津保次郎が、原節子出演作を連打していた頃の一本だ。タイトルにある「嫁ぐ」は矢張り原節子のことを指している。
ゑぎ

 父子家庭の娘が結婚するまでを描いている点では戦後の『晩春』と同じ題材とも云えるが、状況やフォーカスされる事柄はかなり異なる。まず、原には女学生の妹がいて、矢口陽子が演じている。また、父親の御橋公は中盤で後添え−沢村貞子をもらう。本作が重点的に描くのは、妹の矢口と義母の沢村との関係、義母に打ち解けない妹についてだ。

 本作も島津の大胆かつ繊細な演出がよく分かる佳編だと思うが、撮影もさることながら、編集の面白さについて多く書きたくなる作品だ。最初に書くべきは、2度ある非常に不敵な時間経過の演出だろう。それは同時に通常なら尺を取って描かれるであろう場面の省略でもある。1つ目は、凧がひっかった庭の木のショットから、凧が消えている同じ木に繋ぐ処理。これにより、御橋に縁談話が持ち上がったばかりの時点から、家には沢村がいて家事をしている、というシーンにジャンプする。つまり、父−御橋の再婚のプロセスをほゞ飛ばしてしまうのだ。そして2つ目は、亡き実母のことを忘れられず、沢村だけでなく、父−御橋ともギクシャクするようになる矢口のシーンの後、いきなり原の嫁ぐ日の様子を繋ぐという構成だ。これにも唖然とする。これらにより、人物造型やプロットの深みを犠牲にしているという見方もできるとは思うが、図太い面白さを重視した選択だろう。

 逆に、肌理細かな演出やカッティングも多く指摘できる。例えば冒頭、駅からの道を歩く原に御橋と矢口が逐次合流し、3人で帰宅するシーン。玄関ドアに少しドリー寄りをしてから中に入る3人を見せる演出。続けて、御橋と矢口が各々の帽子を帽子掛けに投げるカットを繋ぐ処理。御橋が初めて沢村と会う夜の場面で、清川玉枝−御橋の妹(?)や、汐見洋英百合子といった紹介者含めた同席する5人を一人ずつバストショットで抜いて切り返すカッティング。原が一人で家にいる時に、大川平八郎が訪ねてきた場面でも、長いツーショットを基調としながら、こゝぞというタイミングで2人をバストショットで切り返す。そして、草原に寝転がって矢口が実母を回想する処理は、島津らしい極めて短いカットのフラッシュバックだ。

 また、本作はほとんど戦時中であるということを感じさせない場面ばかりだが、だからこそ、ということもあって、いくつかの興味深い部分がある。例えば、序盤で原が夕飯に作るのはシチューだと云う。夕飯前にオバさんの清川玉枝が訪ねて来るが、原はエクレアを出す。また、矢口が英語の教科書を大きな声で音読するシーンがある。まだ米英との開戦の1年以上前なのだ。ただし、燃料不足のため、家ではなかなか風呂を炊けず、銭湯へ行くという状況が繰り返し描かれる。

 あと、矢口が隠し持っていた実母の写真を巡って(というか端を発して)父の御橋が思いの外きつく叱る場面があるが、こゝでラジオから聞こえているという体(てい)で、べニー・グッドマン楽団のヒット曲「天使は歌う」(インストゥルメンタルバージョン)がずっと流れているのだ。これは時局という事柄以上に、対位法的な演出として実に効果的な、カッコいい処理だと思う。

#備忘でその他の配役などについて記述します。

・矢口の女学校の音楽教師で杉村春子。ワンシーンのみの出番ながら矢張り強烈。

・杉村から音程を外していると指摘される押山さんは永岡志津子。このシーンで矢口の後ろにいるのは御舟京子(後の加藤治子)。

・電車の中で『格子なき牢獄』の話をするのは三邦映子か。座っているのは御舟。

(評価:★4)

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