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[コメント] 私の中のもうひとりの私(1988/米)

どこか老女物の能楽を思わせないでもない。枯れ枯れとした簡素さは、スヴェン・ニクヴィストの大手柄。特に女主人公の夢描写において、しっとりと暖色系に落ち着いた画面が非現実的な展開とともに微細に振幅し始める瞬間、自分の心の深遠を覗き込む怖さを知るだろう。
ジェリー

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







実現したかもしれない人生の別の可能性に苦い諦めを感じなかった人はいないし、自分が知らない自分の別の側面におびえや期待を持ったことのない人もいないだろう。こういう誰しもが持つ人間のツボをあぶりだすウディ・アレンの底意地の悪さは他の映画作家の追随を許さないものがある。しかし、底意地の悪さのさらにその下に、映画作家としての本当の主張がある。

内省とは霜のようなもので、時間という煮え湯の前ではにわかに無力になる性質のものだ。内省は無時間の中でしか生きられない。しかし行動する人間ならば、分節化された時間の中を生き抜くしかない。その逆説に気づき、その逆説の中で生きざるを得ないジーナ・ローランズが例えようもなく孤高で美しい。「尊厳」という言葉はこの人のためにあるような気がするほどだ。

自分が単なる50歳の人間でしかない、という現実を前にただうつろで無力になっていく初老の女哲学者に転生への可能性が訪れるラストを見ながら、ここにはいくばくかの欺瞞が込められていると感じつつ、こういうラストにしたウディ・アレンはやはり女性に暖かいエールを贈らずにいられない、心優しい男性だと感じる。

(評価:★3)

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