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[コメント] ジキル&ハイド(1996/米)

血、霧、悲鳴。研究室の、舞台美術風な造形。主演二人の、感情を封殺しようとするその、表情豊かな無表情の演技。役者は揃った、舞台は整った、だが演出にはもう一工夫欲しい。カラーで『ガス燈』をやれる天才がそう簡単にいる訳がないのは分かるが。
煽尼采

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







メアリー(ジュリア・ロバーツ)の父が、ハイドと同じく足を引きずって歩いていた、という設定からして、これはもう、霧の中の人影がハイドなのか父なのか分からない、という場面演出があるのだろう、という予測は完全に裏切られる。こちらの勝手な期待だから構わないのだが、それならそれに替わる何かを提示してくれよ、とも言いたくはなる。

霧の向こうに点々と、ぼんやりと見える、街灯の光。取り調べシーンでの、窓ガラスに映る、ガラスの中で燃える灯。ラスト・カットの、メアリーが霧の向こうへと霞んで消えていく様子など、瞬間的に霧が活かされているショットはあるだけに、それらが充分に作品世界を構築するに至っていないのが惜しまれる。

研究室は、なぜか同心円状の形状をしている。これと、螺旋階段の下でメアリーがジキルに「同一人物だと気づいていた筈だ」と問い詰められる場面での、螺旋階段のショットとは、円形の反復という照応関係を狙っていたのだろうか?

メアリーが母の遺骸を引き取りに来る場面での、かつて幼いメアリーが父にそうされていたのと同じく、物置に放置されている、血の気の失せた、老いた母。メアリーが物置に入れられた鼠に噛みつかれた傷は、トラウマの証しとして今だその体に残されている。また、この出来事によって、父に虐待されていたメアリーは、母によって家から連れ出されるのだ。その母が、自分の身代わりのように物置で死んでいる。残されたのは、僅かなコイン。このような形で、自らの運命を俯瞰させられたメアリーが、欲望への抑圧から解き放たれた暴力的な男であるハイドに、ジキルと同じく惹かれてしまうのも、皮肉ではあるが、必然性は感じとれる。

街路から聞こえる、少女の悲鳴。それは、かつてのメアリーのようにどこかへ逃げようとする少女が、恐らくはハイドに足蹴にされた悲痛な叫びだ。メアリーがジキルの使いで娼館を訪ねた際も、館のどこからか、女の悲鳴が聞こえる。被抑圧者としての女。だが最後、ハイドとジキルが一つの体を奪い合うかのような変身シーンでは、赤ん坊の泣き声が、この男の体を突き破るように響き渡る。

(評価:★3)

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