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[コメント] 10ミニッツ・オールダー イデアの森(2002/英=独)

ベルトルッチからゴダールへ流れる河。映画史を逆行するギミックな構成。水源は映画の革命(ヌーヴェル・ヴァーグ)と云う清冽な、同じ処にありながら、反目し、対峙する二人の作風。二つの巨星。同時代に生を受け、同時代に呼吸する!これも、時間と云う壮大で不可思議なものの醸し出す醍醐味!
いくけん

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







以下、個々に、書いていきます。(ベルトルッチゴダールに関しては熱いです。)

● ベルナルド・ベルトルッチ ――― 「水の寓話」  ★4.5

 『シェルタリング・スカイ』と『リトル・ブッダ』を融合してコンパクトにした感じ。凄く上手くまとまっていると思う。短編でもアジアにこだわるベルトルッチ。アジアへの変わらぬ想いが嬉しかった。

 物語について。 水、人間にとって生きるために不可欠なもの。水、それは、絶対的な幸福感でしょうか。その感覚を希求して、人々は彷徨(さまよ)うが、なかなか見つかりはしない。と云う感じの寓話でしょう。過去と現在がリンクしているかの様な、不思議な世界観。そして時が経つにつれ、山が丘に靡(なび)くが如く、アジアとヨーロッパが、人種的に、文化的に融合していく事を、ベルトルッチは肌で感じているのでしょう。

 撮影も素晴らしい。綺麗にグラディエーション(明暗)のついた植物の描写が、アンリ・ルソーの描く密林の植物群を連想させ、寓話性を増幅させています。

 牛の目で見た悠久普遍に流れていくかの様な時間。そして、急行列車の過ぎ去る音、何という一瞬の新鮮を掴みとるのだろう!ベルトルッチ、詩人の血は隠せない!

● マイク・フィギス ――― 「時代×4」 ★4

 タイプライター、スプリット・スクリーン!ハイヒールの足音、スレンダーな女の肢体。この展開、私は好きです。親、自分、妻、そして子供、4つの人生の流れに、不条理に深く介入して来る戦争。世代によって、あの戦争への印象に温度差があるのが上手い。

● イジー・メンチェル ――― 「老優の一瞬」 ★2

 「10分とは、一瞬である。/10分、人生とはそれ程長くは無い。」 って10分、10分こじつけくさいんだよ、旦那!でも、あの老優の顔は味がある。

 がまがえる 負けるなフィルムが ここにあり! (笑)

● イシュトヴァン・サボー ――― 「10分後」 ★2

 話は凡庸なんだから、せめて、ワンカットで撮って欲しかった。嗚呼、最後の方で切れてるもんね。

 ヒチコック、『ロープ』斬り、残念!

● クレール・ドゥニ ――― 「ジャン・リュック・ナンシーとの対話」 ★1

 時間の概念は少し入っているが、フランス人論に終始している。世界で封切りされるんだから!視野が狭すぎる。

● フォルカー・シュレンドルフ ――― 「啓示されし者」  ★2

 蝿(はえ)の視点で描かれても、人間には幾ばくかの感慨も沸かない。自然の摂理。

● マイケル・ラドフォード ――― 「星に魅せられて」 ★4

 良い。凄く良い。宇宙時間について考えるという着想が上手い。

 宇宙の雲海、反射する数字、写真、タイム・トラベル、横にいるうな垂れた飛行士、アンドロイド、暗い一本の橋。老人の万感の想い、声、そしてラスト・シーン、全てが思い出せる。

 利子とか、インフレとか、税法上の優遇措置(相続税も掛からない)によって、預金が激しく膨れ上がるのだろう。さりげなく、預金の金額を示すことにより、タイムトラベルの動機を鮮明に浮かびあがせる演出の上手さ!

 同じ時間を共有しない。同じ思い出も!一人は生き、一人は老いる。タイムトラベルは人類にとって禁じ手(パンドラの箱)であるといった、明確なメッセージも伝わって来て、良作。

● ジャン・リュック・ゴダール――― 「時間の闇の中で」  ★4.5

 この作品における時間とは、「映画における時間」の事でしょう。

 「夜空に輝く星は失われたものしか見えない」とのナレーションがあります。この瞬間、我々が 夜空に見る星は、何万光年も離れた星から発せられる光です。いわば何万光年前も、過去に発せられた光を現在見ている訳です。その星は現在、存在しているかどうか判りません。同じことが映画にも言えます。今、我々が観ている映画も、過去に撮影されたものであり、映っている俳優も現在生きているかどうかは判りません。そして、映画を監督した者も、その生存の有無或いは、その信念、考え方が変化しているかも知れません。何十年も経っておれば、形の不確かな信念、考え方など変化している方が多い筈です。冒頭のナレーションは、一見、確かに存在するかに思える映画は、星のように不確かで、幻のように危ういものだと言っているのです。

 無数の小説を、次々と無表情に、黒いゴミ袋に捨てていく女の描写があります。映画とは観客に大量消費され、忘れ去られて、捨てられるもの(そうではないから、我々はこのサイトに参加している訳ですが!)と言っているのです。

 即ち、ゴダールは、映画とは、その存在も不確かな過去の幻影であり(ドキュメンタリーはその記録性故に、若干、現実に近い。しかし主観の入らないドキュレンタリーなどあるのだろうか?)、しかも観客に消費され捨てられるモノとしての側面が大きいと、競作映画の中で、堂々と発言しているのです!

 厳しい、そして意地の悪い、ゴダール監督!(そんな性格だから、未だにアンナ・カリーナ命してるんだYO!)

 しかし、彼の云わんとしていることも真実であり、事実であり。。。まず、映画そのものを疑ってみる。その姿勢が、哲学者であり、科学者であり。その視点。プラス完璧な映像コラージュとナレーションと文字群と音楽!その冷徹さ、絶対性に痺ざるをえないです。

●以上、長々と書いて来ました。

10ミニッツ!その短い時間の中に、映像で強烈な個性、一度観ただけで監督名を類推せしめる!この難業、映像スタイルを達成できたのは、ゴダールベルトルッチ、(『人生のメビウス』ではヴィクトル・エリセ)の三人です。映像が表現しうる可能性を日々考察し、磨き上げた結晶です!これぞ、超一流の証(あかし)!

(評価:★4)

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