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[コメント] キートンの隣同士(1920/米)

キートン家の“バスター”の視線を想起させる物語とスタント芸の矜持がSO-SOなサイレントコメディ
junojuna

 実父ジョー・キートンと映画の中でも親子を演じることとなった、全然シリアスな趣はないがどこかヴォードヴィル時代の郷愁に包まれている作品である。恋人ヴァージニアの父ジョー・ロバーツによって物干しロープに洗濯ばさみで吊るされるバスターという毎度のアホネタも笑えるが、その後に地中にめり込んでしまい頭が抜けなくなったバスターを助けようとする父ジョーに向かってジョー・ロバーツが、「首の骨を折るよりマシな方法があると思うがな」と軽口を叩くのに対し、父ジョーは「これは他でもない私の息子だ!首の骨を折る時は私がやる!」と返す件は、ヴォードヴィル期「スリー・キートン」時代に、まだ年端もいかない息子バスターをジャイアントスイングしていたという父ジョーとの親子関係を思わせてニヤリとさせられる。また、地中からなんとか抜け出して泥まみれのバスターが、家に入ると母親が洗濯している。それを部屋の中で吊るされたシーツの陰から見つめているバスターの視線はイノセントな子供の容貌を呈して注目のカットであった。また若き発明家として隣家の天敵であるジョー・ロバーツにいたずらしてやろうと、隣家を隔てる扉にシーソーを仕込むバスターであったが、コップスも巻き込んでそのシーソーでドタバタとなる状況を物干しの陰から見ているもやがて見つかってしまうという件にも、子供の邪気を思わせる微笑ましいシーンであった。さらには見上げるほどの高いところへ登って足をぶらぶらさせているシーンであるとか、本作はなぜか子供のキートンが顕在して、どこかノスタルジックな一面を垣間見せる点でも不思議なニュアンスがある。そこから先は、3人肩車によるスタント芸の強度に目を瞠るばかりであるが、もしこれがサーカス小屋の日常を舞台にした劇空間であったらより一層の抒情を持って見ることができたかもしれない。作品に内在する要素とは別の感傷をもって眺めることのできる映画という装置はゆえに愉楽の揺籃である。

(評価:★3)

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