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[コメント] ホテル ビーナス(2004/日)

瞬間的かつ連続的なカット割りや、同一ショット内でのコマ飛ばしによる時間演出が、くどい。悪い意味でミュージック・ビデオ的。韓国語台詞も含め余計な装飾が目立つ一方、演出的な手落ちも見られる。
煽尼采

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







全篇韓国語台詞などの試みはあっていいが、作品として出来ていない場合は出来ていないと言ってやるべきだろう。映像重視の無国籍な作品世界と言えば思い出すのは『スワロウテイル』。これもまた随分と厭味な雰囲気の映画ではあったが、こうした失敗作を観せられてしまうと、あの気取った世界観を取り敢えずは成立させ得た岩井俊二の演出力はバカにはできないと思ってしまう。

日本人の役者による韓国語の台詞がどこまで正確な発音なのかは分からないが(とは言え何となく頼りない発音には聞こえる)、草なぎ剛を除いて皆、「韓国にやって来た日本人」という役柄ではないので、韓国語が喋っている事自体が不自然に感じられる。役者がちゃんと台詞の音の情調性を理解して口にしている、という基本的な信頼が置けないのは、もう殆どそれだけで致命的。「チョナン・カン」で映画をやってみたという、それ以上のものは無いのだろう。元々映画としての志が低いのがそのまま最後まで低空飛行を保ったという事か。

ただ中谷美紀は韓国語という異物を取り込んだのが幸いしてか、余計なストッパーが外れたように、やさぐれた女を熱演している。尤もそれも激昂する場面での瞬間風速でしかなく、失踪していた彼女がチョナンと再会して話す場面などではいつもの品よく大人しい中谷に戻ってしまっているのが情けない。やはりこの種の役柄は不得手なのだろう。

ビーナス(市村正親)が女装の主人なのは、韓国語による無国籍性に無性別さを加えてホテル・ビーナスの無差別なアジール性を演出したかったのだろうけど、このビーナスが「誰もが背中に負っているものがある」云々とチョナンに(つまり彼を介して観客に)映画のテーマを長々とご丁寧に語る場面は、ドラマを画的に演出する能力の著しく欠けたこの映画の中では、安易に都合よく処理された場面にしか見えず、偽韓国語台詞という事で余計に胡散臭い印象を与えてくる。

演技力を示しても台詞が頼りない役者たちと、勘違いした「映像派」ぶりを発揮する空疎な演出のせいで、過去の辛い記憶を背負うキャラクターたちの群像劇をセピア調のブルーな画面で描くというのもただ安易にしか感じられない。この青はアネモネの青に合わせたのかも知れないが、だとしても別にどうとも思えない。この青画面そのものは厭味な印象だが、最後のカラーパートの色彩の柔らかさを引き立たせる効果を上げている点だけは認める。またカラーパートに於ける青の鮮烈さにはハッとさせられる。

いまひとつ印象の薄かった少女サイも、父が連行される場面で見せた大泣きや、カフェを手伝うラスト・パートでの笑顔は良かった。演じたコ・ドヒは、無表情と沈黙の演技より、活き活きと表情を変化させる演技の方が得意なのかもしれない。ラストもサイで締めた方が正解だった筈。タップを踏むサイの愉しげな姿は、それに重なるチョナンのナレーション、「サイが飛んだ。彼女の背中に翼が見えた」の相乗効果で、サイが今にも羽ばたいて飛ぶかに思えた。緊張したドラマからの解放感と、殆ど青のモノクロだった画面に於ける色彩の解放とがない交ぜになって、印象的だった。この作品が映画として達成した事があるとすれば、それはまさにこの瞬間の演出だろう。だが、これ一つで他の欠点をチャラに出来るほどの強度がある訳でもない。

しかも最後の最後、ビーナスの死を仄めかすのは全くの蛇足。未練がましく画竜点睛しようとしたせいで却って稚拙な点を打ってしまった観がある。ドクター(香川照之)が自分の手術ミスで一生歩けなくしてしまったと思い込んでいる患者というのがビーナスだという事は、ドクターがボウイを治療しようとする際の遣り取りでそれとなく匂わされているが、それが何かドラマとして利いている訳でもない。鈍感ではない演出家なら普通、最後にビーナスの手から離れた杖の画に情感を与える為に、予めこの杖を何らかの形で演出しておいただろう。

この取って付けたような死の演出からも分かるように、この作品で「死」は、観客が条件反射的に感動すべき記号としてしか扱われていない。チョナンの恋人やサイの母親の死、ソーダがボウイに殺されたであろう事を匂わせる場面などで、死は悲痛な出来事として充分に演出されていたとは思えない。役者が嘆いたり泣いたり落ち込んだり叫んだりすればそれで事足れりとする怠惰しかこの監督からは感じられない。サイの母、つまりガイの妻の死は彼の言葉で情感を込めて語られているだけまだいいが、この妻が写真の中で見せる明るい笑顔と、死の際での態度のギャップは、哀しいとか切ないというよりも、むしろホラー。またチョナンの恋人は描かれ方が抽象化されすぎており、彼女の父親である伊武雅刀しか印象に残らない。

「万国共通の英語」でビーナスの場所を訪ねる香取慎吾にダスター(ピート)が「この土地で話されている言葉を使うのが、最低限の愛情だ」と返す台詞はぜひアメリカ人に聞かせてやりたいが(当のアメリカ人自身は特に悪気なく英語でこちらに話しかけてくるから却って厄介)、この作品自体が散々LOVE PSYCHEDELICOの英語詞の歌を流しまくっていたせいで、やや空疎に響く面も。香取の番組「SmaSTATION」での英語の扱いをからかいたかったのか何なのか。

2点なら割と付けられる僕も、1点という点数を付けるのはそう無い事。この点数を付けるのは「総合的に見てやはり許し難い」という「処罰感情」的なものを抱いた時くらいで、今回はその久々の1点。この監督、WOWOWで放送された『蒼井優×4つの嘘 カムフラージュ』や『上野樹里と5つの鞄』の短篇では割にいい仕事をしていたが、この映画は完全にバツ。脚本も自分で書かないと駄目なタイプなのかもしれない。なので、こんな企画物ではなく自身の脚本でもう一本撮ってもらいたい。

(評価:★1)

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