[コメント] CASSHERN(2004/日)
映画を見終った人むけのレビューです。
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かつてタツノコプロのアニメーション作品としてTV放映され、大きな人気を誇った作品の映画化作品。予告だけでも、えらいエフェクトのかけかたと、一流キャストが勢揃いは分かったし、並々ならぬ力が入っていることはよく分かる作品だった。
で、問題はこの出来なのだが、これはなんとも評するのが難しい。実際悪い面を見ればいくらでも出てくる。物語が平板な上に、とにかく説明口調の台詞が多すぎて、膨大なテキストの中で意味のある単語がきわめて少ないとか、力の入ったエフェクトが間延びしてるとか、演じる人間みんなに抑えた演技を強いたから、物語の盛り上がりが見極めにくいとか…
しかし、この作品を無碍に「駄作」とは切り捨てられない自分も確かにいる。
一つには演出面の良さ。予告からしてそうだったが、一画面一画面がCGを用いて某かのエフェクトが必ずかかっており、それがこの映画の演出に一役買っているのは確か。それにここでのキャシャーンのキャラクタ描写は極めてピュア。2004年は「冬ソナ」ブームのあおりで、ピュアなキャラを描くのが流行になりつつあった。その辺をよく分かってのことだったのだろう。約30年という時代の流れを経て、新しいタイプのヒーローとしてキャシャーンは蘇ったのだ。多分この辺は監督、よく分かっていたんだろうと思う(物語が平板なのはその辺もふまえてのことだと思う)。これは目で見える部分での一般的な良さ。
それで今度は他の魅力というか、私にとって捨てられない部分というものを考えてみると、私自身が持つTV版「新造人間キャシャーン」に対する思い入れというのが一番。これが放映されたのは私が子供の頃で、えらく暗いアニメだ。と言うイメージしか持たなかったが、後になってみると、この物語の奥深さが分かった。結局あの作品は、人間ならざるものが人間を守って戦うことの意味を、物語を通して問い続けてきた作品だったと言うこと。アニメ版のキャシャーンは、親である東博士が作り出してしまったブライと、ブライ率いるアンドロ軍団を倒すために、半ば無理矢理東博士から改造人間にされてしまうのだが、ここに本人の責任感が加えられたため、たとえ強要されたとはいえ、半分は自分の意志で後戻りの出来ない新造人間になった。彼の口上である「たった一つの命を捨てて、生まれ変わった不死身の体。 鉄の悪魔を叩いて砕く、キャシャーンがやらねば誰がやる」とは、強烈な意志を感じさせるのみならず、ともすれば、人間外の存在となってしまい、崩れ落ちてしまいそうな自分自身を叱咤するためにこれを言っていたのでは?と思わせられたものだ。一方、本作も、キャシャーンはやはり自分自身の存在意義を問い続けている。オリジナルとは異なり、それは何故自分は生まれたのか、何故戦わねばならないのか。と言う方向性になっているが、この改変は物語の都合上、それで良いと思う。キャシャーンこと東鉄也の性格をきわめてピュアなものに持って行っている点も重要。監督はさすがに現代の流行に敏感のようで、TV版「キャシャーン」が放映された1970年代の問題性をここに持ってきても駄目だと判断したのだろう。それに細かいところは色々とオリジナルへの傾倒を思わせる。
ただ、変えてはいけない部分ってのもあったとは思うのだ。オリジナルのキャシャーンは、アンドロ軍団と戦う際、(フレンダーを除き)決して武器を使用しない。彼にとってアンドロ軍団のロボットは一種の兄弟であり、それ故にロボットを破壊する際、彼は武器を使用しないことを己に課した。だからパンチやキック以外で攻撃はしなかった。それが今回は、ビーム兵器を使ってアンドロ軍団のロボットを一網打尽に倒してしまうシーンがあり、これはさすがに引いた。本質は分かっていたとしても、大切な部分を無くしてしまったようだ。
…こう見てみると、甲乙つけがたかった本作の評価が、やや否定部分の方がやや強くなってしまったことに気づいてしまった。得てしてレビューというのはこういうものだろう。
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