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[コメント] 花形選手(1937/日)

例えば前年には『有りがたうさん』があり、同年に『恋も忘れて』『風の中の子供』、翌年には『按摩と女』があるという充実期の清水宏作品。本作も傑作だ。非常にシンプルかつストレートな良さのある映画だと思う。
ゑぎ

 構成としては、プロローグとエピローグがどこかの大学の運動場で、メインのプロットは一泊二日の軍事教練を描くというものだ。

 プロローグは、主要人物5人のセットアップ。芝生の上で学生たちが小銃(ライフル銃)の手入れをする場面から始まる。それをディゾルブで叉銃(小銃数丁をピラミッド型に組み立てた状態)のショットに繋ぐ。本作も全編に亘って、ディゾルブ繋ぎで時間経過を表現する映画だ。主要人物5人とは、陸上部のライバル2人−佐野周二笠智衆、昼寝ばかりしているコメディパート−日守新一近衛敏明のコンビ、そして、この後の行軍のリーダ(隊長)役−大山健二だ。このプロローグで、大山が佐野のことを「やつはやっぱり花形だな」と云う。

 メインプロットも大雑把に云えば3つの場面に分けられる。最初が宿営場所の村までの行軍。2つ目は、村の民家に分宿する夜の場面。3つ目が、翌日の演習場面。この中では、特に最初の行軍シーケンスが清水らしい道の画面が溢れていて(というか、ほゞ道の画面だけで構成されていると云っても過言ではない)、とても面白い。土手のような道を隊列を組んで行進する学生たち。先頭は大山で、軍歌を唄う。子供たちが走って来、後ろについて歩く。行商の女性や僧を追い抜く。ディゾルブして荷車で肥を運ぶ人。鼻をつまんで唄う大山。その声が変わる。若い女性たちがいる。中には水戸光子。振り向いたり、走ったりといった彼女らの運動も面白い。学生たちは『モロッコ』のディートリッヒなら、と云い、誰がゲーリー・クーパーだ?という科白もある。こういった情景を、延々と後退移動や前進移動で見せていく。いきなり走る学生たち。土手の道から川岸へ降り、川の中へ。子供や女性たちも後ろに続く。次第に横移動になるカメラ。川の中に広がって走る学生たち。腹ばいになって銃をかまえる。突撃ラッパが鳴り、川の中を全力疾走する。競争の一番は笠智衆だ。このダイナミックな演出への唐突な転調が素晴らしい。

 さて、ほとんど戦時臭を感じさせない大らかな作品をもっぱらとするこの時期の清水宏にあって、本作はかなり軍国主義が色濃く反映された映画だ。ただし、それはあくまでも当時の状況の描写として取り入れられており、思想的な啓蒙のようなものではないと私には思える。右寄りの人が見れば戦意高揚に見えるかも知れないが、左寄りの人の目には、アイロニカルに映るといった描き方ではないだろうか。例えば分宿した民家の初老の男性が病気で死んだ息子のことを「どうせ死ぬなら戦争へ行って弾にあたってくれていたら」と云うシーンがあるが、これは多分当時の観客も複雑な感情で聞いたことだろう。あるいは、笠智衆を中心に佐野も日守も「勝った方がいい」「勝ちゃいいんだ」と仕切りに繰り返すのだが、結局それを体現するプロットは描かれないし、こんなに何度も云うこと自体 が一種の揶揄なのではないかと思えてもくるのだ。

 あと、最後にもう一人の重要人物のことを書いておきたい。行軍途中に佐野が知り合い、夜の村の場面で再会する門付(大道芸人)の女性−坪内美子のことだ。出番は少ないが、彼女を取り巻く悲哀の描写はとても心に残る。特に、無人の道をトラックバックするショット内に佐野、続いて坪内がゆっくりフレームインするショットの哀感。このあと、女性(しかも玄人とみなされる女性)と2人でいたことを叱責された佐野が何の言い訳もしないというのは、もどかしいがそういう時代でもあったのだと思う。また、坪内のいる木賃宿でケンカを売ってきた男たちが、翌日の演習シーンでまるで仮想敵の敗残兵のように扱われるというシュールな造型も凄い。

#備忘でその他の配役などを記述します。

・行軍に付いてくる子供たちの中には葉山正雄突貫小僧アメリカ小僧がいる。

・坪内美子は2人の子供(男女)を連れているが男の子は爆弾小僧

・木賃宿の女将さんは双葉かほる。医者で仲英之助。行者の客は石山隆嗣

(評価:★4)

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