[コメント] 南風(1939/日)
全編に亘ってアップショットは皆無。最も寄った構図でも、ちょっと引き気味のバストショットで、それも数えるほどしかない。勿論それは主要人物たちのみで、主人公の田中絹代、彼女が東京へ追いかけた男−トオル−徳大寺伸、及び田中を愛する男−佐分利信ぐらいだ。もう一人あげると、彼女を支援する職場の同僚・ケイ子−水戸光子までだ(水戸はバストショットはなく、ほゞウエストショットレベルしかない)。
例えば、かなりの重要人物だと云ってもいい、田中の兄役−笠智衆や佐分利の母親−葛城文子でも、フルショットレベルにしか寄ることはないし、根津の叔父さんと呼ばれる河村黎吉、あるいは田中の母親−二葉かほる、なんかも、ほゞロングショットしか与えられていない(屋内でもかなり離れた部屋の奥にいるショットしかない)ので、ほとんど顔が判別できないぐらいだ。私は正直云って、この構図の選択は、ストイックに過ぎるのではないかと思った。もっと云えば、単に表情が隠蔽され、情報量が少なくなっているだけのキライがあり、溝口の引きのショットのような殺気漂うようなレベルの冷徹さが演出できていないと感じた。
ただ、徳大寺の部屋で田中が障子紙の張替え作業している場面で、手前に向かって田中が歩いて来るショットがあり、少し大きめに映るかと期待していると、アクション繋ぎをしてポン引きのようにカメラを後退させ、引きの画面に切り替えたのには驚いた。全く徹底して寄りのショットを拒否する宣言みたいに感じられたのだ。この徹底はある意味凄いと思う。
あと、冒頭の障子窓を映した長い空ショットから始まる田中の実家の場面における空間造形からして面白いと思ったが、東京へ場面が移ってからのいくつかの建屋、具体的には、上野桜木町にある徳大寺の下宿、根津の叔父さんの家、他にも田中の金持ちの友人かほる−氷川澪子のアパート、高松栄子が産婆をしている産院、そして終盤の佐分利信と暮らす家など、いずれの場面でも、導入シーンでは廊下を映し、それぞれの部屋(階上が多い)が主な事件の発生する舞台となる。それを例えば階段を上る人物のショットは完全に省略して、廊下から部屋に人物を移動させるといった空間演出が統一して行われている。この趣向は面白いと思った。
また、田中の暴力的な所作の反復も書いておきたい。例えば、徳大寺の部屋で障子を力いっぱい開けて大きな音を立てながら詰問する場面。喫茶店でマッチ箱を叩きつける場面。そして、ラストショットは屋内から玄関の方を撮った空ショットで、扉を力強く開けるオフ(画面外)の音が聞こえる。
#備忘でその他の配役などを記述します。
・田中の兄嫁(兄−笠の妻)は松井潤子。田中の叔父−河村の妻は若水絹子。この家の女中に江坂静子。
・徳大寺の下宿の主は岡村文子。徳大寺の同僚で友人の近衛敏明。
・田中の勤務先の最初の場面で出て来て、田中を紹介する日守新一。
・かほる−氷川のアパートの廊下で火バサミを使って電球を換えている葉山正雄。
(評価:)
投票
| このコメントを気に入った人達 (0 人) | 投票はまだありません |
コメンテータ(コメントを公開している登録ユーザ)は他の人のコメントに投票ができます。なお、自分のものには投票できません。