[コメント] 土砂降り(1957/日)
映画を見終った人むけのレビューです。
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連れ込み宿の詳述が本作の美点。「旅館ことぶき」、逆さクラゲで「ことぶき」の電飾看板が窓の外に煌めく。朝、客が出て行くのと並行して沢村貞子が普通に朝餉の用意し、岡田茉莉子と桑野みゆきが普通に通勤通学に向かうのに鈍い衝撃がある(大学生の田浦正巳は普通に寝坊している)。
客は玄関開けて「部屋あるかい」と告げ、女中は部屋を案内し、お茶を出し風呂を案内する普通の温泉宿のスタイル。客間には呼び出しブザーがあり押されると一階のパネルが灯る。出前の注文を取り次ぎ、うな丼にチャーハンと聞こえると田浦が「精つけるなあ」と云い「いやあねえ」と桑野が咎める。客が洋間を所望し、桑野が自室を譲らされてべそをかく件もある。
岡田は「うちのお風呂には入らない」と云い捨て、ひとりでいるときに客が来ても無視している。中年女がいつも違う青年を連れ込み、昼間から廊下をネグリジェの女が歩く。中村是好はひとりで来て田浦使ってクラブに電話をし、お目当てがまだいると知ると怒鳴りつけて、沢村に娼婦を世話しろと云って断られている。心中に当たっては身元が割れては一大事と遁走する二人連れがいて笑わせてくれる。田浦はヘンな客ばかり見て来た、まあ人生愉しまなくっちゃねと達観している。
女中の三谷幸子は極めて印象的で、これらをそつなく勤め、「お休みなさいまし」と沢村に三つ指ついて去る。戦前映画のお女中は必ず、彼女のように空気のような存在として描かれたもので、本作はこの呼吸を引き継いでいる。住まいは明示されず、空き部屋に住むのか別居なのかは定かでない。中盤に「温泉マークに批難の声」という新聞見出しが映り、学校周辺は立地が駄目になるようだと田岡が噂している。
岡田を社内恋愛の佐田啓二と明朗にして模範的に結婚させようと仲人名乗り出る課長(このビアホールはパラソル付きのブルが並んでいる。グラスはジョッキではない)は、岡田の実家が旅館と聞いて「近頃は妙な宿屋が増えた」と云い、挨拶に来た佐田の母高橋とよは逆さクラゲを発見して驚愕、「パン助、女給からフリーの娘まで入る」と近所の居酒屋の女将に教えられ、客間へ通されてお連れさんはまだですかなどと云われてネグリジェの女に遭遇したりして、破談になる。佐田はさっさと結婚してしまい、役所の収賄押しつけられて逃亡し、岡田が追いかけて自宅の部屋で心中というイロニーに至るのだが、佐田の造形はお座なりで岡田の純愛も説得力がなく、面白くなかった。
面白いのは山村聡。日本橋で成功しており、沢村を妾にして再々裏口から通ってくる。クライマックスで本当は沢村と結婚したかった、身を隠した沢村を探しきれずに親の薦められるままに結婚してしまった、そのとき沢村が岡田を孕んでいたのも知らなかったのだと弁明され、それは説得的なのだが、なんで沢村一家の生計のために逆さクラゲを営ませたのかは最後まで語られず、ただ儲かって助かるぐらいのことで、山村も沢村も一本ネジが抜けているという印象が残る。
その山場で、心中した岡田みたいに自分も堕落するんだと夜遊び始めた桑野は戻って沢村に、女を共有するなんて許せない、山村と別れてほしい、私達働くからこんな商売止めよう、もっと健康的で明るい生活がしたいと訴える。死んだ岡田の日記に、二号さんの娘はなぜ侮蔑されるのかと書かれているのが発見される。山村がそこに来て先の事情を話すのだが、それでも桑野は怒る。山村は俺は古い人間だったと仏壇に土下座して、田浦に促されて初めて玄関から去る。料亭で泣いて山村の膝によよと縋る沢村だったが、戻って店売って三人で静かな処で出直そうと語るラスト。
ということで、子供三人が妾の子で不幸だったという方に話が移行しており、逆さクラゲで育った不幸との兼ね合いが今一つ鮮明でない嫌いがある。連れ込み宿など営むのは妾の家庭ぐらいという差別目線が感じられるが、それこそが本作の主張なのかも知れない。
宿にほど近い南千住の駅と引込線が詳述され、ラストほかで煙の通り過ぎる歩道橋が印象的に記録されている(いまは高架になった由)。タイトルは心中から家族の和解に至る夜の土砂降り風景を差す。北条秀司ってこんな素朴な民主主義作品も書いたのかと発見があった。タイトルにラジオ東京他の連続放送劇とある。
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