[コメント] 我等の町(1940/米)
戯曲に対して、本作の一番の見どころは、映画らしさを強調した美術だと、云っていいと思う。まずは、冒頭タイトルバック。丘の上の、馬場柵のような、手すりのある遊歩道。この、スタジオにこしらえた丘のセットが凄い。クレジット中に、美術のウィリアム・キャメロン・メンジースが、一枚で出る意味が分かる(『悪魔とミス・ジョーンズ』でもそうだった)。この丘の上の道を、フランク・クレイヴンが歩く。彼が解説役、狂言回しだ(原作では、舞台監督、という役名)。本作では、クレイヴンが(ソーントン・ワイルダーと共に)脚本クレジットに名を連ねている。舞台の初演から同役だったとのことで、ワイルダーの信頼も厚かったのだろう。シーンの取捨選択や、彼の出番の科白の改変は、かなり任されていたのだと推測する。クレイヴンは、背景に町が見渡せる場所まで来て、解説を始める。途中、画面奥に汽車が走る。ミニチュアか。この装置もいい。
町の隣り合う二つの家、ギブス家とウェッブ家のお話。ギブス家の息子、ウィリアム・ホールデンと、ウェッブ家の娘、マーサ・スコットの話だ。両家の朝の様子をクロスカッティングするところから始まる。ホールデンの父親は、トーマス・ミッチェル、母親はフェイ・ベインター。スコットの方は、ガイ・ギビーとボーラ・ボンディだ。全般に人物のツーショットを少し縦に(前後に)並べて、寄り気味に撮った、不思議な(不安定な)カットが多い。もしかしたら、公開後、年月を経る間のどこかの時点で、オプティカル処理によって改変されたバージョンじゃないかと勘繰ってしまう(初公開時の画角よりも寄りぎみにプリントされているのじゃないかということ)。劇中で、クレイヴンはソーダファウンテンの店のオヤジとして登場するが、このシーンのホールデンとスコットのツーショットなんてかなり近い。
さて、両家の二階の窓を上手く使った高低の見せ方や、町の大俯瞰カット、あるいは、通りの婦人たちを、ミッチェルの部屋の窓から画面奥に見せる縦構図の造型など、サム・ウッドの演出も、映画の画面を獲得しようと、よく考えて作られている。冒頭の丘の上の遊歩道は、劇中何度か出て来るのだが、終盤の、とびっきり美しい雲の背景には感動する。これも美術の力だ。ラスト近く、雨の中、丘の上へ傘さす人々が行く場面は、かなり演劇的というか舞台演出的になるのだが、ホールデンとスコットの幼き日にフラッシュバック(というか二重露光でタイムワープ)する場面は、ちょっとたまらない演出だ。こゝは、プロット的に、原作と最も異なる部分であり、舞台劇では出来ない、映画らしい見せ方だろう。センチメンタルに過ぎるとも思うが。
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