[コメント] 罠 THE TRAP(1996/日)
映画を見終った人むけのレビューです。
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『我が人生最悪の時』を第一作として始まった濱マイク・シリーズ、劇場版の第三弾は、『アマデウス』の黒衣の男のシーンを連想させられる、仮面の男からの謎の依頼によって幕を開ける。横浜で、若い女性を次々に殺害する連続殺人事件が発生。犯人は、被害者の遺体に奇妙な細工を施していた。果たして、犯人の動機とは…。
劇場版シリーズとしては、これで一応の最終章。周知の通り、この後でテレビ・シリーズが製作される事になる。毎回、監督の違うテレビ版は玉石混交だったけど、青山真治によるサイコ・サスペンス風の回は特に印象深い。が、この『罠 THE TRAP』もまた、深読みして観ると、なかなかよく練られたサイコ・サスペンス。加えて、法の執行者として権力を振るう警察と、権力の傘に守られる事なく、自身の力で情報を収集する探偵たちのコントラストも、記憶に残る。
劇中、重要なキャラクターとして、「ミッキー」と呼ばれる白痴の青年が登場する。これをなぜか、マイク役の永瀬正敏が一人二役で演じている。ここで考えるべきは、「マイク」も「ミッキー」も、共に「マイケル」の愛称である事。そして、二人とも子供の頃に、親に捨てられた過去を持つ。マイクが、物心のついた後で母に置き去りにされたのに対し、ミッキーは、記憶も定かでない幼少時に捨てられている。ここで思い出すのは、シリーズ第二作の『遥かな時代の階段を』。その中でマイクは、妹に母親の事を訊かれた際、「ほんの小さい頃に居なくなったから、ほとんど憶えていない」と誤魔化していた。その、小さい嘘が実体化したかのような、ミッキー。彼はマイクにとっての、あり得たかも知れないもう一つの人生であり、彼自身のコンプレックスが投影された、シャドウのような存在なのだ。
サイコ・サスペンスという体裁をとるこの映画、例によって多重人格と分裂症(統合失調症)が混同されている点には違和感を覚えるものの、この設定は、犯人に関する或る一つの真実に関わってくるのみならず、上記のミッキーとマイクの二重映しの関係についても、物語の中で完結しない一つの謎へと誘わせる。「自分自身の事さえ分からないのに、どうして人が人を救えるのか」という台詞は、劇中のマイクの恋愛劇、愛する女性を救おうとするマイクの姿に、疑惑と不安に満ちた影を落とす。警察から犯人と目されたマイクは、状況を打開する為に真犯人を追うが、それはまた、彼自身の影を追っていたのかも知れない。
黒衣の男は、その異様な風体にも関わらず、存在が他の人間に気付かれていないような場面があるのが気にかかる。マイクの、「一度、お世話になった者です」という台詞も、何か真実めいて聞こえる。更には、スズランの香りの件は、単なる偶然の一致と言えるのか。また、指紋の一致は、果たして本当に…。
この濱マイク・シリーズは、実在した(「した」、と過去形なのが寂しいが)横浜日劇の二階に事務所があるという設定や、シリーズの他の作品が自己言及的に顔を覗かせる小ネタ、或いは第二作に、実在した娼婦“ハマのメリーさん”を登場させたりと、‘ホント’を映画という虚構に取り込む事で、却って自らの虚構性を際立たせる手法が特徴。前作の出演者である佐野史郎や杉本哲太が全く違うキャラクターを演じているのも、昔の『仁義なき戦い』シリーズなんかでは行なわれていた事だけど、これがまた、映画というものは、約束事を前提としつつ、スクリーンの上をウソが漂う幻なのだという事を思い起こさせる。林海象監督は、正式に探偵の仕事を勉強した上で、敢えて派手派手なインチキ探偵を創造した。そうした、虚実の皮膜を翻しつつ真実をチラ見せする手法が、この第三弾では、心理劇の要素として巧く取り入れられた観がある。
スズランの三つの花言葉が、この映画のキーワード。「幸福の再来」を願って起こす行動が、「マリアの涙」を招く悲劇。「天国への階段」という花言葉も、幸福なイメージと同時に、不吉な死の影をも漂わせる。スズランの花言葉は、劇中で紹介されるものの他にも幾つかあるようだけど、この三つが選ばれたのには、物語の内容に沿った必然性が感じられる。
この、裏に複雑に絡んだ糸が垣間見える脚本を書いたのは、今村昌平監督の作品も三本書いている、天願大介氏。一見すると、所々にスキを覗かせる、甘い脚本のように見えるけど、むしろそうした所にこそ、この作品のキモの部分が隠されている筈。その辺りの深い所を読み解くと、この映画の世界観そのものが綻びを見せ、崩壊し、廃墟と化して、別個のパラレル・ワールドが侵入してくるような感覚に襲われる。表面的には何気無いラストも、解釈が分かれるところ。「居なくなった」とは、実際にはどういう意味なのか。新たな幸福への旅立ちなのか、それとも、果てしない闇に呑み込まれ、影も形も無くなったのか。この辺りの謎は、個々の観客の眼力と想像力に委ねられているように思う。皆さんも自らの眼で見極めてみて下さい。
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