[コメント] 奇蹟の処女(1931/米)
「迫力のトレードオフ」として、スタンウィックの強い口調は少しクサいとも思うが、カメラワーク含めて瞠目すべきプロローグだろう。以降、この冒頭を超えるシーンが出てこないと云ってもいいくらいだ。
スタンウィックは映画デビュー後間もない24歳頃。まだ少女のようにも見えるが、メイクは少々サイレントっぽくて、全盛期に比べてもオバサン顔に作られていると感じた。また、フランク・キャプラだって34歳頃の作品だ。本作からロバート・リスキンとの仕事がスタートしており、後年トレードマークとなった理想主義的(ファンタジックな)社会派コメディの萌芽が既に見られる。本作は、当時も今も後を絶たない、詐欺まがいの宗教活動を糾弾する作品であり、スタンウィックは、『エルマー・ガントリー』のジーン・シモンズのような『夜に生きる』のエル・ファニングのようなカリスマに仕立て上げられるヒロインを演じている。
さて、カリスマ宣教師となったスタンウィックの説教シーン導入部も、礼拝所の屋根の尖塔ショットだ。つめかける人々の群れ。バンドとコーラスを含めたモブの演出にも目を瞠るが、舞台に数頭のライオンがいるというのが凄い。さらに、高い所に登場したスタンウィックが、階段を下りて来て、ライオンの檻の中へ入る演出には驚かされる。どう見てもスクリーンプロセス合成ではないので、透けて見える幕(あるいは金網)で仕切られていたのだろう。
中盤以降のプロットは、スタンウィックのラジオ放送を聞いて自殺を思いとどまった盲目の青年−デイヴィッド・マナースとの交流が中心に描かれるようになり、マナースの清廉さがスタンウィックを変化させるという、ま、お定まりの展開となる。玩具や腹話術の人形を使った演出も、私にはワザとらしいものに感じられた。2人のシーンだと、暖炉の中、炎の向こうに置いたカメラから、ソファに座る2人を撮ったように見せかけたショットがあり、ドンデンして、2人の後景に暖炉と炎を見せる演出・カッティングは良くできていると思った。
あと、詐欺や殺人といった問題の収束、スタンウィックを売り出した興行師−サム・ハーディの帰結、さらにはスタンウィックとマナースとの帰結に関しても、見せ方は素直なものではないというか、見せなさ加減が普通じゃない。この描き方の選択に不満を持つ観客もいるかも知れないが、私はこの趣向は悪くないと思った。
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