[コメント] 希望の降る街(1942/米)
要は事実だと語るロナルド・コールマンに対してケイリー・グラント「ここでは事実も簡単に曲げられる。事実だけなんて、君には魂や人間の温もりはないのか」「感情で判断すれば結局は暴力に行きつくだけさ」「高尚な意見だがフヌケだ」。抜群の返答。
**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。
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「あなたは新聞記事でしか世の中を知らない。怠け者相手の記事さ。肌で感じろ」と続く。グラントは超然とした造形だが、逮捕されてナンボの闘争は孤独で、裁判所の周りにデモ繰り出す群衆は反体制叩きで紡績工場の社長の味方をしている。田舎町の企業城下町なんてこんなものでなのだろう。大衆の代表のヒーローという役処でないのが本作をリアルにさせている。
冒頭、コールマンがジーン・アーサーの経営する宿に無理矢理押し入るのも、この理論法学者の、自分だけが正しいという歪んだ処の表出なのだった。本作を通じて「日々の闘いなしに法は存在しない」と現場に目覚めることになる。これは主題ではないが、どちらの政党も支持いていない人物が最高裁判事に任命されるのは今は考えられず、これもひとつの理想なのだろう。
社会の公正を説くジーン・アーサーらしい映画。コメディも面白く、グラントが唐突に庭師と偽る件も、警察犬がスリッパの穿き違いで犯人間違う件もいいし、紡績工場放火現場での殴り合いも派手でいい。強面造形の弁護士エドガー・ブキャナンもボルシチ屋の青年ウィリアム・ベネディクトもいいキャラ。秘書レックス・イングラムは黒人として重要視されているように見受けられた。ただ、教授が先祖は先住民と闘ったと張り切る件はいまや蛇足。劇伴はやり過ぎ気味か。最後の三角関係もイマイチだが些細なことだ。
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