[コメント] 午後の五時(2003/イラン=仏)
映画を見終った人むけのレビューです。
これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
監督が描き、伝えようとし、そして変えようとした世界。
――「この国の大統領になりたい人?」
宗教によって、ある意味人格を無視された社会の「事実」。アフガニスタンと言う、我々から遠く離れた、しかし同じ「世界」の中にある一つのリアル。勿論、そのリアルって奴はテレビのスイッチを入れてチャンネルをグルグル回せばお茶の間からいつでも覗き込めるリアルだ。だから映画はそれらを描くだけではダメなんだ。
勿論この映画も、映画として十分機能していると思ったのだけど、正直言って俺は、『カンダハール』の唐突に呼び込むショッキングでシュールなリアルアートであったり、『アフガン零年』の虚構と言う名の極めて現実的な悲劇であったり、と言う物に今まで打ちのめされてきただけに、この映画に今更どうのこうの、と言う事は特に感じなかった(単に俺が眠かっただけかもしれない)
◇
そりゃ映画なんて結局の所、極端に言えば「面白い/面白くない」が全ての基準とならなければならないのかもしれないけど。で、その前提に「好み」って言うレンズがあって、俺達はそれを通して見ている訳だけど・・・・
「コレが我が国の現実です」「私はコレを変えたい」
熱意は伝わる。宗教で抑圧されていた女性達が尊厳を取り戻し(厳密に言えば「取り戻し」は不適格な表現だと思うがここではあえてコレを用いる)「大統領になりたい」と自己主張する。例えそれが無謀だと分かっていようと、目指す事に価値がある、と言う様に劇中で主人公は夢を見る。
このプロットと言うかテーマだけでストーリーは十分面白くなりえてたはずなのだけど、何と言うか、平和ボケ丸出しの言い方なんだけど、「今更?」なんだよね。マジで。
◇
俺に何かが出来る訳でもない。映画ができる事は現実を伝える事。だからこの映画の存在価値はあると思う。でも、結局伝達手段として最も重要なのは「面白い事」。そして客の度肝を抜く事。
ニュースで描かれている客観的なリアルを、「感情移入」と言うファクターを使って主観的なリアルに様変わりさせる。それが映画の役割だとすれば――
冗長で退屈で眠いこの映画は面白くなかった、としか俺は思わない。
◇
でもまぁ熱意は買うし、存在すべき部類の映画である事は明白なので★一つ追加しておく。
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