[コメント] 1936年の日々(1972/ギリシャ)
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検閲をいかに逃れるか、周到に配慮された作品(軍事政権が終わったのは次回作『旅芸人の記録』の撮影中)。
顔のアップがほとんどないものだから、例えば痙攣して死ぬのが犯人の弟だとは判別しづらいし、弁護士が拷問を受ける件は、長椅子で新聞を読んでいる男が隣に配されているため、「続けろ」とだけ云われるのを聞いてもそれが何の意味なのかよく判らないだろう。こういった、引きの構図の多用やナンセンスな併置は、「画面外の空間での暗示」と並んで、もちろんミゾグチやルノアールから学んだ技法なのだけれど、検閲の目くらましのためにデフォルメして活用された方法だったに違いない。ワンシーン・ワンショットの長回しだって、検閲官の注意を散漫にさせるテクのように思われる。
一方、保守党党首と捉えられた議員の母親が思い出の歌を唱和する件や、叛乱者を粛清するラストに小さく鳴り響くラッパは体制側の賞賛とも取れる。暗殺シーンだってカタルシスがあるとも云える。事情通でない者が解説抜きで観ると、とんでもない間違いを犯すことになりかねない。本作の果実を味わうにはギリシャ史を学ぶことが不可欠であり、作者の意図もそこにある。
ゴダールが贅沢と評した漆黒の闇がすでにここで登場しており、360度パンの暗殺シーンはカラー映画がモノクロの光と影を取り戻した瞬間として記憶されるべき。あのような過酷な条件でこれほど豊穣な作品が撮れた奇跡は、世界の映画人を勇気づけているに違いない。チベットから北朝鮮から、第二のアンゲロプロスが生まれることを切に願う。
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