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[コメント] ブラックボード(1986/日)

教育委員会に勤めていたとき、どんな脈絡か判らんが隣の山の指導主事が突然に「うちの学校にいじめなんかありませんっ!」と絶叫して驚愕させられたことがあった。本作の初井言榮とそっくりな先生だった。
寒山拾得

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







隠蔽体質だよね。

私の知っているいじめとはつまりは差別であり、本作のように、いじめっ子といじめられっ子が酒酌み交わすなどあり得ない。これでは舎弟である。また、いじめによる殺人は、大抵はいじめる方が過熱して行うものだろう。本作の逆パターンはいじめの本質を抉っているとは思われない。別に本質を抉らなくても全然いいのだけど、では他に何があったかと云っても漠としていてとりとめがない。そこが面白いという気もするが。

優れているのはその周辺事情で、担任教師の田中隆三の報われなかった努力と、被害者の母の乙羽信子の屈託がいい。乙羽がいいのは当たり前(バブル期でも掃除婦が貧乏だったのは当然である)だが田中は特に印象深い。教員のディスカッションの件も興味深かった。パンツ見せたりお漏らしさせられたりして、佐野量子は新藤にいじめられていると感じたに違いない。蜂の巣にされる校長の財津一郎はいつ「キビシー」とやるのか待っていたのだが、もちろんやらなかった。

本作が撮られたのは、いじめが社会問題化した直後であり、リアルタイムでは裸踊りのいじめの描写など特筆ものだったのかも知れない。新藤世代なら、なんだこれ、軍隊のいじめと同じじゃないかと気づいたと思うのだが、そういう穿ちは感じられなかった。サザンの連発は同時期の山田洋次の徳永英明を想起させられ、新藤も自分の演出に自信が持てないでいるような印象。電通と近代映協のコラボという異様な成り立ちの作品であり、いつもの不思議流は見られず地味、いろんな妥協、数字稼がなきゃいけないという事情などあったのではないだろうか。タイトルも何か投げやり。

(評価:★3)

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