[コメント] エターナル・サンシャイン(2004/米)
映画を見終った人むけのレビューです。
これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
ま、何だかんだ言いながら、甘い時間と辛い時間はインターバルの長短はあれど、いずれやってくる。そして、その辛い時間が終わった瞬間、恋人たちは甘い時間に染まる為にお互いに嘘をつく。否、お互いが自分自身に、なのかもしれない。だってその時は彼ら「盲目」なんだから。或いは自分自身が「幸せである」と言う境遇に酔っているだけだったりもして。
だから一瞬醒めたりした時にケンカになっちゃったりして、やっぱり相手を消したい、と思っちゃったりもして。
彼女に、上京を告げた日、僕はこの映画を一緒に見に行きました。予告編を見ればさ、ある程度製作側がやろうとしている意図が見えていたので、丁度良い、と思ったので。ええ、これもまた男の傲慢ですが。まぁ上映前に突然「俺ぁ東京行くけぇ」と言い出した俺が一番糞な訳で、そんな情況で言われた本人はこの映画を冷静に見れる訳もなかったのかもしれないのだけど・・・・でも、あの場にこの映画を用いた俺の意図をわかってくれてるのだろうか・・・何だか、見た事すらも忘れてる気がする。
◇
嫌な過去を忘れる。それは殆ど無理な事であって、それが嫌で嫌で嫌であるほど、それは過去と言うアルバムの中で永遠に輝き続ける。鬱陶しいほどに光って、付録で覚えてる嫌な事も一緒に思い出させてくれる。恋なんざ所詮矛盾と欺瞞だらけの糞ったれな感情だよ。ヘッ。
でも、本作が象徴するように、例えば雨上がりに顔を覗かせる太陽の如く、例えば朝もやの中に聞こえる小鳥のさえずりの如く、真っ黒で薄汚いヘドロの混じった糞もいずれ光が差し込み、全てが浄化される。そして、その浄化作用また「記憶」でしかない。
但しその「記憶」が持つ残酷な面は、「現在」と言う名の今が、いずれ「記憶」或いは「思い出」と言う軽薄な物に変化してしまう、と言う側面である。どんなに楽しい事でも、いずれ尽き果て、そしてまた夜が来る。
長く辛い夜に自問自答する。相手が悪いのか、自分が悪いのか。そんな夜が明ければ、太陽が涙で湿った世界を照らし出し、目が覚める頃には霧は晴れている。そして、また太陽は二人を照らし出す。
臭っ。
閑話休題
◇
アイデアは見事であり、誰もが持つ恋愛に対するファンタジーをストレートに描く。もはやプロット=アイデアだけで完全な勝利である。結末云々はもはや問題外であり、カウフマンが描こうとした物語は、あくまでこのアイデアに全てが凝縮してある。だからアイデア倒れの感が否めないのも事実だが、この物語にこれ以外の結末をつけるとすれば、一体何が思い浮かぶだろうか。
確かにサイドストーリーには力不足の感が否めないし、そのサイドストーリーが目立ちすぎてメインの二人のドラマも今ひとつビビッドに伝わりきれて居ない面があり、作品として全体を見渡した時、やはり粗さは残ると思う。でも、何もこの物語が完璧である必要が無い。ただ、観客の心の中でエターナルサンシャインとして輝いていればそれでいいのだから。
それこそ、ワンシーンでいいのだ。例えばジム・キャリーが「この記憶だけは消さないでくれ」と嘆願する姿だけでもいい。ワンシーンでも心に響けば、この映画の意図は十分伝わっているはずだろう。
なんか臭っ>俺
でも、やっぱり何か小細工を施しすぎて、感情が伝わるのを疎外している面がある気がしてならない。もっともっと、感情をストレートに描けばよかったのに、と思うと非常に残念。確かに単純な一本線にしてしまえばカウフマンらしさが失われるかもしれないけど・・・
◇
但し、俺、コレはどーしても『トータルリコール』だと思うんだよね。あ、いや、そりゃバーホーベンがこんな映画撮れるとは思わないし、撮れても撮って欲しくない(爆)のだけど、記憶とかさぁ、何とかさぁ〜、どーしても納得できねぇなぁ、俺ぁ。
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