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[コメント] 隠し剣 鬼の爪(2004/日)

松たか子に施した熱量のせめて半分を高島礼子に注がねば、情緒の映画たり得ないのではないだろうか。
寒山拾得

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







「それはご命令ですか」「そうだ」「ならば受けます」。この論法が本作では三度繰り返される。

一度目は松たか子永瀬正敏に帰郷を求められる件。身分制度の形式がなぞられ、ふたりの想いは形式によって粉砕される。

二度目は永瀬が緒形拳の家老から、剣友である謀反人小澤征悦の殺害を命ぜられる件だ。このとき永瀬の脳裏には、一度目の松との対話、松の従順さとそれに付随するいろんなニュアンスが想起されたに違いない。松は俺の拙い命令に従ってくれた、ならば俺も主君に従うべきなのだ、と。この心理描写は素晴らしい。彼はこれによって、煮え湯を呑まされる自分をぎりぎりで納得させている。

そして三度目は松が永瀬に求婚される件である。このニュアンスが本作の肝だと思うが、失敗していると思う。

ここで二人は身分制度のナンセンスから脱出している訳で、一度目の対話を反復してもそこにユーモアが感じられるのが健全で好ましい。しかし、松はこれを夫唱婦随の形式のまま使っている。命令に従う女をナンセンスと笑い飛ばしているのではない。この夫唱婦随は、鉄砲や大砲によって失われゆく過去の伝統に対する抵抗という本作の主要部分とリンクしており、片方では自由恋愛を賛美しているのに中途半端である。これが拙いのがひとつ。

もうひとつは、小澤夫婦への追悼として不謹慎に思えること。この論法によって、永瀬は緒方(彼を最初から信じていないのは高島礼子との会話で明らかだ)に従い小澤を殺した。習ったばかりの剣術を使って嬉々として殺ったようにさえ見える。後で梅安しても取り返しがつくものではない。だから最後には、この論法への反省がなくてはならない。主君の命令にやすやすと従うのは誤りであると語らなければいけなかった。これを見過ごして、相変わらず「それはご命令ですか」「そうだ」「ならば受けます」とやっているのはユーモアとして成立していない。本作の重大な瑕疵だと思う。

(評価:★3)

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