[コメント] パリの大泥棒(1967/仏)
この邦題から想像する愉しさに反して、淡々としている。かといって、泥棒の手口が緻密に描かれている訳でもない。気の利いた台詞は無くはない、が、音楽も聞こえず寂しい。これぞというショットも、少なくとも僕には無い。
**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。
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主人公がやけに乱暴に他人様の屋敷内の家具を破壊していくのは、彼がナレーションで言うような「時間の節約」だけとは思わないのだけど、ブルジョワ階級への対抗意識という様子も覗わせない。彼自身が元はその階級に属していたのだし、偏狭な保守主義的演説を振るう政治家への憎しみを顕わにし、ブルジョワ階級にひと泡吹かせようと目論んでいた泥棒は、あっけなく主人公の眼前で殺され、主人公も、彼の遺志を告ごうという様子は特に見せない。父の財産を横領した叔父への復讐を果たし、その娘とも再び結ばれたのに、泥棒をしている時だけが充足感を味わえると言って、その稼業を淡々と続けていく。
もうこれは、富を得たいという気持からではなく、殆ど、富というものへの破壊衝動に駆られた泥棒行為に見える。神父を装った泥棒の登場も、そうした価値破壊的な行為としての泥棒という面を補強している。とは言え、無残に破壊された屋敷の在りさまから何かを伝えようとするショットがある訳でもない。
全てが余りに淡白な上に、『鬼火』のように、その虚無感が強度を持って立ち上がって来る作品という訳でもない。金も女も、手に入れたとしても虚しい、という何も無さを描いている映画とは言え、映画として何も無さ過ぎるように思える。
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