[コメント] 風櫃〈フンクイ〉の少年(1983/台湾)
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正確には、潰れた油虫を便箋の隅に見つけて、その縁取りを幾重にも幾重にも描き続けるのだった。鶏はバラされることなく青年たちの腕のなかから逃げ出してしまうし、石畳のうえの魚たちもバラされる描写はない。もちろんいつかはバラされる。映画の時間はバラされる寸前を捉えている。
その諦念の入口には顔に穴の開いたお父さんがおり、出口には徴兵による兵役がある。 家族はチャンザイ君の都会への逃走をあっさり許したりする。まるで、兵役で区切られた人生とは、それまでをダラダラ過ごすことだと云っているかのようで興味深い。十五で元服、とかも似たようなものだったのではないだろうか。
こういった『青春群像』系列の、藤田敏八や中島丈博みたいな先例では、原田芳雄的な訳知り顔の先輩の不良の失敗とともに物語を転がすのが有りがちな作劇だが、それを通俗だと排してあるのがとても良く、リアルが増した。高雄在住の友だちの姉さんとか、麻雀好きなその亭主とか、ヤマハパッソルで付きまとう詐欺師とか、情けないような大人たちに囲まれてはいるが、しかもチャンザイ君たちは彼等より情けない宙ぶらりんの存在である。
チャンザイ君が棚ぼたのように近づきになるリン・シウリンのような美女は、チャンザイ君の前には二度と現れまいが、悪いことに彼はそれを知らないのである。あの情けないようなバスでの別れ。悔しくて涙が出る思いがした。
序盤の田舎の漁港は青が際立つ美しさで、これを背景にした喧嘩の羅列に何とも云えない滑稽味があった。ただ、俗な音楽までついでに褒めようとは思わない。
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