[コメント] 荒野のガンマン(1961/米)
進藤英太郎さん似のチル・ウィルスの独立共和国の妄想とともに映画は南軍を揶揄い続ける。ここには南北戦争の対立の傷をインディアン制圧で解消せんとする西部劇のモチベーションへの批評があるだろう。
**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。
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90分映画らしく語り口(編集)が軽くて駆け足、それが悔やまれる淡泊な箇所もあるのだが、これが好転した件は流暢でとてもいい。冒頭のブライアン・キースが酒場からカードの八百長で吊るされたウィルスと、意味なく自分の映る鏡を射撃するスティーヴ・コクラン(『上海から来た女』が想起される)を強盗にスカウトして去る件のスピーディさがいい。
酒場に変身する酒場での乱痴気騒ぎ、麻酔替わりの酒を患者に勧めたあと自分もラッパ飲みする医者、銀行強盗仕掛けたら銀行から強盗が出てくるドタバタ(モーリン・オハラの息子が事故死してしまう)、三人に追われたオハラが馬車を水没させると馬が逃げていくギャグを彩る見事な縦構図、インディアンに奪われた馬車の黄色い車輪は祝祭のようだ。
西部劇らしく空が空色でとても美しい。オハラの息子がハモニカ吹く屋上の背景、インディアンがオハラを襲う洞窟の天井の穴から覗く夜の空も美しい。終盤が敵同士の殺し合いであっさり終わるのはやっぱり淡泊に過ぎただろう。男優ふたりに魅力がないのも困りもの。進藤英太郎さんはいい。日本の進藤は、こういうアクションは演じただろうか。
銃を腰だめに構えるモーリン・オハラ齢40、息子を故郷で埋葬するために四苦八苦する気丈な女の造形でやや息苦しい。設定上出しようがなかったのだろうがユーモアがないのが残念。ただ終盤の笑顔はとてもいい。本作のペキンパー監督デヴューはキースの推薦とのこと。
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