[コメント] 雨鱒の川(2004/日)
極めて月並みな話が延々と続く。それと言うのも舞台が北海道だってのも響いている。何よりも日本人にとって北海道とは何なのか、それを問いたい。
と言うのも都会人が北海道と言われて往々にしてイメージする全てがこの映画には詰まっていると言ってもいいだろう。つまりは舞台を設定した時点で上下右左どこにも逃げ道はない脚本がそこには待っているのだ。
この場合、売りになるポイントは雄大な自然しかないわけで今ならBSデジタルでいくらでも見る事が出来る。つまりこの映画はBSデジタルでの時間埋め合わせに流れる大自然に物語を付けたものにしかならない。というかなれない。自然をバックにヤクザ界大戦争や凶悪殺人警視庁モノといったギスギスした世界は似合わない(考えてみれば逆もまたそうだな)。
そんなわけで最初の舞台設定時点から途方も無く早送りをしたくなるのは余りに先の展開が読めるからだ。そして案の定その展開はそのまま定刻どおりに進む事になる。
もしかしたら問題は我々が「北海道」というものに余りにイメージを固定しすぎているせいで制作者側も動けないのかもしれない。と、同時に東京(横浜)のこれまた北海道の全く逆のイメージもまた再考する必要があるのではないだろうか。何気ないシーンだったがベンガルが面接で忙しそうにちょっと話して軽薄に立ち去るところなど典型的都会人ではなく単なる失礼なエージェントだ。これを何の違和感も無く「都会の人」としている演出に北海道に対する意識も同等レベルなのだろうなと思ったのだ。
田舎を舞台にするのは演歌の歌詞と同様、人々がイメージしやすいのでとっつきやすい反面、話を限定してしまう欠点があると言える。
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