[コメント] パッチギ!(2004/日)
映画を見終った人むけのレビューです。
これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
松山猛による自伝的小説「少年Mのイムジン河」をモチーフに、羽原大介と井筒監督が共同で脚本を執筆した力作。現代にあって何かととんがった作品を作っている井筒監督らしさがよく出た作品といえよう。
ところで最近日本であれ韓国であれ、ネット上では国粋主義がまかり通っている。自分の名前を出さないことを幸い、相手を非難だけする態度は嫌いで、日本側の記述があると嫌な気持ちになるが、同時にやはり韓国側の記述も好きにはなれない。単に私の気が弱いだけかもしれないけど、お互いにもっと歩み寄れないだろうか?と、いつも思ってる…甘いと言われたら、甘んじて受けよう。実際私は甘ちゃんなのだ。
そんな、ちょっと心がもやもやしていた時期に本作を観たのは、はっきり言えば“衝撃”であった。
1968年と言うのは、日本にとっては大変“熱い”時代だった。何せ私がうまれたのだから。世界的にはヴェトナム戦争やオイルショックがあり、世界的にも激動の時代だったが、日本における“熱さ”と言うのは、実は、それらに“まったく関わっていない”と言う事実を元にしているのだと私は思っている。全世界的に様々ムーブメントが起きていて、それが世界史を動かしている。だが、自分たちはどうなのか。アメリカの核の下、世界に関わる何かをすることを止められたままではないか。だからこそ「何かをしなければならない」思いが高まっていて、それをどうしたら良いのか、方向性が与えられない。だからこそその思いが噴出した。それは一つには日本政府と言う巨大な仮想敵について。そしてもう一つは(お叱りを受けるかもしれないが)自分の回りにいる“自分たちとは違う人間”に対して…
そんな時代が題材で、誰しも敵を探していた時分の出来事がこの映画の舞台となる。とにかく誰でも良いから噛みついてやる。行き場所を求めた若さの爆発そのものが描かれている。
泥臭くストーレートな暴力描写が、逆に本作のパワーとなっているし、しかも現代になって作られているだけに大変洗練されている。ここでの暴力描写は本当に小気味良いのだ。やりきれない気持ちを暴力に転換しているが、その暴力の内側にあるものをそれぞれが考え、苦悩しつつ、何とか答えを出そうとしている。もしこれが70年代辺りだったらその答え自体を出さずに終わっていたかも知れないが(あの当時は視聴者に考えさせようとしていたから)、ここでは曲がりなりにもちゃんと答えを出そうとした。その姿勢にも拍手を送ろう。
そして流れるイムジン河が又良いのよ。イムジン河はそもそも朝鮮南北分断を歌った朝鮮民主主義人民共和国の歌で、レコード会社が政治的配慮を考え自粛的に発売を見合わせたという経緯を持つ歌で、当時これを歌うと言うことは、もの凄い勇気を必要としたらしい。ちなみに私の知り合いは(ちょっと年上のだが)、カラオケに行くたびにこれを歌っていたが、そんな意味があったとは、この作品観てようやく知った。
とにかく、“燃える映画”であることには間違いない。
(評価:
)投票
このコメントを気に入った人達 (1 人) |
コメンテータ(コメントを公開している登録ユーザ)は他の人のコメントに投票ができます。なお、自分のものには投票できません。