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[コメント] 大女侠(1968/香港)

 キン・フーの『大酔侠』の真逆をいく映画。それは、チャン・ツェーの意地だったのかもしれないけれども、だからといって、チャン・ツェーっぽい作品か、と言われると微妙。異色作だと思う。
にくじゃが

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

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 京劇出身のハン・インチェによる素早さ・緊張感を大事にする殺陣と、タン・チア、ラウ・カーリョンコンビによる本格派の殺陣。バレエ経験者で美しい動きがアクションの核になっているチェン・ペイペイと、ボクシングを“やったことがある”バイオレンスジミーさん。ロケ中心の『大酔侠』に、ほとんどがセットの『ゴールデン・スワロー』。などなど。

 この二作品は、金燕子というキャラクターを使った正編・続編ということになっているけれども、本当に対照的。その中でも際だっていたのは演出面だ。個人の利害・感情をなるべく避け、派閥・階級などを表現したキン・フー演出と、恋愛というとても個人的な問題を描いたチェン・ツェー演出。

『大酔侠』では、登場人物ほとんどが感情をほとんど見せない、あるいは隠している。あの作品は、最後までほとんど個人の感情を排することで、“江湖”を描いて見せた。そして、酔猫が見せる“個人の感情”、あの一瞬で、あの映画の登場人物達も血の通った同じ人間と表現してみせた。“江湖”全体を描きながら、その世界では隠されてきた“個人”を描くこともできる、まったく見事というしかない作品だった。

 この『ゴールデン・スワロー』の場合、キン・フー版では隠されてきた“個人の感情”が全面に押し出されている。この映画の金燕子は女の子らしい恰好もすれば、傷を癒すあいだ、助けてくれた男の前で笑顔を見せたりもする。もっとも印象的だったのは、銀鵬の求めに応じて、男装を解く場面だ。女性であることすら封じ込めてきた金燕子が、“恋愛感情”に突き動かされて(なんて個人的な問題!)、本来の“女”に戻る。江湖という特殊な世界で生き抜くために、本来の自分を隠し続けてきた登場人物達が、感情のままに、自分をさらけ出していく。

 ラストも象徴的だ。感情を全て表に出し、銀鵬のために生きると誓った金燕子は江湖を捨て、金燕子への恋を諦めた韓は表情を閉ざし、去っていく。

 あの『大酔侠』の続編と言われても、話が続いている気は全然しない。だけれども、この作品はあの映画の“裏”を描いているというか、あれがあるからこそ、魅力的な作品になったのでは、と思う。

 ただ、これがチャン・ツェーらしい映画かと言えば、そうでもない気がする。チャン・ツェーの持ち味はなんといっても“陽剛”、つまり男たちの義侠とか忠孝とか復讐とかのドラマだと思うのだ。しかし本作では続編ということになっているので、どうしても金燕子が物語の中心にいなければならなかった。そして彼女は義侠などよりも、恋という個人の感情に思い悩む。ここんとこにキン・フーとチャン・ツェーの女性観の違いが現れているような気がする。

 まあ、金燕子が恋についてあれこれと悩んでいるあいだに、主人公はチャン・ツェーものっぽい復讐のために生きる銀鵬にスイッチしますけれども。

(評価:★4)

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