[コメント] 喜劇 初詣列車(1968/日)
映画を見終った人むけのレビューです。
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西村晃は(僕の思いこみかもしれないが)悪役のイメージが強すぎてコメディーには全く合ってなかった。渥美の暴走の引き止め役で留まっているのが勿体ない。襖がばたんと倒れるのには爆笑したが。
川崎敬三は金にセコイという設定は話に全く絡んでないから不要だし、渥美のラリる演技を真似するのなんて見てられない。二枚目は二枚目のままでいいのだ。無理するな。
弟思いだという美和子(佐久間良子)はなぜ芸者に身を置いているのか説明不足。借金でも背負ってるのだろうか。
中村玉緒の妻役は綺麗すぎず不細工すぎず妥当なところだが、嫉妬しているだけでどうも物足りず、『団体列車』の楠トシエ の方がまだいい。
しかし、この映画の公開8ヶ月後に寅さんのテレビシリーズが開始するようだし、全国を回る車掌といい、美女との叶わぬ恋といい、お約束の妄想シーンといい、寅さんの原型と言っていいぐらい影響を与えていると思えるので、この三本の映画の存在意義は限りなく大きいだろう。(渥美&蝶々親子、テレビ中継ネタなども引用)
浮気する甲斐性もない所帯持ちの車掌の小市民性を、寅さんでは独身のフーテンという設定にすることによって、万人が憧れる普遍的な自由人像に作り変えた山田監督のアレンジの才能は凄いと改めて思う。(アレンジの才能と書いたが、決して嫌味で言っているわけではない。映画は人を楽しませてナンボですから。)寅さんがなぜあれほど続いたのかと言えば、「独身のフーテン」という自由自在に話を膨らますことのできる設定のおかげもあるが、脇役に恵まれたというのが一番大きいだろう。この喜劇列車シリーズを見た後、「もしかしたらこのシリーズでもマドンナを佐久間良子だけに限定せず、毎回違う女優にしていたらもう少し続いていたかもしれない」と一瞬思ったが、当時の東映は任侠&エログロ役者ばかりなので無理だと思い直した次第。やっぱり脇役って重要だね。
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