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[コメント] サマリア(2004/韓国)

唖然とする破格の展開。娘の聖性から父親の俗性へと、観客の興味のポイントを次々に裏切るかのように、表現のフォーカスの深度を切り替えてゆく演出は見事で痛快。
ぐるぐる

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
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なんとなく、最初は「ふたりの少女の物語」かと思って観ていたんだが。

しかし、観終わってからよく考えてみれば、第1部「バスミルダ」の聖性と第3部「ソナタ」の俗性の対比、そして、その間に置かれた第2部「サマリア」の「信仰に目覚める女」という構成は、実に実に見事なものであることに気が付く。

聖書では、イエスはサマリアの女に対して自らが救世主であることを告げ、身持ちの悪かった女は信仰に目覚めるようになる。

これは、第1部での「援助交際」を「罪」として捉えているだけだと、その後の展開が何だかわからない話ってことになっちゃう気がする。ここで未熟なのは、娘たちではなく、むしろ大人たちの方だ。

一方で、妻を失った父親にとっては、娘こそが「聖なるもの」なのかもしれないが、それは保守的な価値観に縛られた身勝手な思い込みでしかなく、行き場を失って殺人という罪へと堕ちて行かざるを得ない哀しさ。

であるからこそ、父親が毎朝語る奇跡のエピソードを、興味が無さそうにしていたくせに、あとで「ちゃんと聞いていた」と言う娘の言葉に救いがある。

(評価:★5)

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