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[コメント] 少佐と少女(1942/米)

私は今までビリー・ワイルダーのことをあまり良く書いていませんが、それでもまだ見ぬ作品はぜひ見てみたいと思うし、これがワイルダーの最高作で、尚且つ私のワイルダーに対する偏見をぜひ覆して欲しいと願いながら見るのです。
ゑぎ

 でも残念ながら、本作も、彼の最良作と云えるかもしれないけれど、面白いところもいっぱいあるんだけど、やっぱり、私にはところどころで引っかかりました。

 例えばプロットの起点になるグランドセントラル駅のシーン。旅費が足りないジンジャー・ロジャースが子供料金の切符を買うことになりますが、後ろに並ぶ人の子供の支払いを見て、何かひらめいた顔を映し、トイレで着替える。或いは、先の子供が持っている風船を見せてから、その風船を盗む、といったように先に理屈を説明してからのアクションが繋がっています。こういうのって好みの問題という人もあるかも知れませんし、いや、流れがいいと云って評価されていることもあると思うのですが、私は映画って、理屈の回収で繋いでいくよりも、「どうしてそんなことするの?」って画面がどんどん先に来た方が良いと思うのです。そして、その「どうして」の理屈なんかイチイチ説明しなくても良い、しない方が良い、という場合の方が多いと思うのです。

 そういう意味で、本作の良い点を上げておくと、全体にレイ・ミランドのバカっぷりは良いですよね。殆どのリアクションが、こんなの有りえない、ってものです。ジンジャー・ロジャースを初見から徹底して子供と思い込んでいる部分もそうだし、ラストの振る舞いの迷いのなさもぶっ飛んでいる。そして彼の心理については何の合理的な説明もない。あと例えば、ダンスパーティのシーンで「ベロニカ・レイク気取り」の女の子が沢山いる、っていう出し方の唐突さもいい。こゝも理屈の説明なし。

 また、電話交換台のシーンのロジャースのタップダンス。こゝでワンカット、望遠レンズのような被写界深度の浅いカットがあり、アクション繋ぎで繋がれるのですが、このダイナミックな繋ぎはキャッチします。実は私の感覚でいうと、カメラの視線というのは「もう一人の登場人物」の視線(ま、おそらくは監督の)、という感覚なんですね。この例でいうと、今まで標準の画角で見ていたカメラの視線が何の前触れもなく変更されたのであり、上でいう「どうしてそんなことするの?」っていう画面の一つなのですね。

#さて、備忘ですが、レイ・ミランドは後方業務から前線へ異動したがっておりこの「志」の扱い(特にジンジャー・ロジャースとリタ・ジョンソンのスタンスの対比)については戦意高揚のテーマが透けて見えます。っていうのは映画とは関係のない話。

(評価:★3)

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