[コメント] 戦国自衛隊1549(2005/日)
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戦国+自衛隊。
この最強なタイトルで我々が求めているのは、現代のよくワカランしがらみから解放された無茶苦茶な自衛隊像なのではないだろうか。
90式戦車で天守閣を吹き飛ばし、ヘリから大将を銃殺、対戦車ミサイルで騎馬隊なんぞ木っ端みじん。
そういう絵を期待しているわけですよ。我々は…。
それを「平成のニホンをこの時代から変えてやる」ですと? そんなつまんない話につきあっていられないわけですよ。
でもねぇ。福井晴敏が言いたいことはあまりも遠回しすぎて誰もわかってくれてないみたいなので、少し説明しようかなぁ、なんて思いましてね。
前作『ローレライ』の批評で「なんで東京に原爆を落とす必要があるのかサッパリわからん」というのを結構目にしましたが、アレは今回の「富士山を吹っ飛ばす」と根っこの理屈は同じなんですよ。つまりですね、
東京に原爆を落とす→皇居ぶっ飛ばす→天皇殺す
なんですね。で、今回はですね
富士山吹っ飛ばす→日本の象徴を吹っ飛ばす→天皇を殺す
…。遠いなぁ…。普通の人にはわからないですなぁ。
この映画の予告編で「平成のニホンをこの時代から変えてやる」みたいなことを言っていたので、「おお!これは京に上って天皇ぶっ殺す」ってコトですか?とワクワクしたものですが、さすがに映画界のタブー、天皇制には言及できなかったようです。
日本の歴史について、そして日本の政治における「責任の取り方」の問題を考える時に、天皇制、歴史的にいうと”お上”の存在は切っても切れない関係にあります。歴史的に天下を取ったとされる豊臣秀吉さえ、形式上は天皇を補佐する関白という役職ですし、徳川家康こと徳川征夷大将軍も天皇から授かっているものです。古くは聖徳太子なども天皇の血筋ではありますが天皇ではありません。
日本の歴史には実務上のTOPと形式上のTOPこと天皇が、その時の利害関係によって自分に都合のいいように使い分けられてきたわけです。 太平洋戦争などは一番いい例で、一体誰が国民全体を戦争に突き進む主因となったのか未だによくわかりません(東条英機だと思っている人がいるならそれは間違い。彼にそれほどの権限はなかった)。
天皇制がなければ太平洋戦争もなかった、という左翼的な考え方ではありません。 責任転嫁するのに都合がよい天皇がいて、市民自らがアイデンティティを持って国づくりに参加しないから、誰も責任を取らない腑抜けた国になるのだ、という理屈です。
『ローレライ』の朝倉もこの理屈の人なのですが、この理屈がオトナの都合で説明できないので、タダのキチガイ扱いにされてしまうのです。 今回も、この理屈でいくならば「京に上がって天皇を殺し、独自の政治体制の元に日本を再生させる」のがベストの方法なのですが、そんなことしたらとても映画として公開できないので、ちょうど自衛隊の演習場もある富士にその役目を押しつけたわけです。
まあ、理屈はわかるけど、それがオモシロイかというと別問題で…。
福井晴敏さんスランプですか?
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