[コメント] 旅するパオジャンフー(1995/日=台湾)
例えば大きな木の下で老芸人が歌うショットの見事なフレーミングや、一台しかカメラを置いていないのに息子とその恋人との会話の応酬を切り返す繋ぎ。揺れるブランコや浜辺にポツンと置かれた枯れ木の上で一家団欒する様子を捉えたロング。黄春蓮一家の座る机とその後ろで翻る洗濯物を収めたショットなど、構図ができすぎている。パンクを直す一家を照らす照明も予め位置を決めているのではないか。
このように相当程度演出が入っていると推測できる画面もあるが、田村正毅のカメラはあくまでも事物をドキュメント的に捉える。まず、その虚構性の入り混じりが映画的で面白い。
一方で、本作は蛇使いの危険極まりない芸や、家族の息子が初めて口上をし、その後娘が踊る様、そこに息子が合いの手を挟む様を、カットを割らずに長回しで捉えていく。そこに生まれるのは、演出の介在しない、現実そのものの荒々しい緊張感だ。蛇使いが噛まれる呆気なさと、本人の平然とした様子。蛇を机に出しつつカメラ側に向かって会話もする余裕。こうした臨場感もまた、映画の醍醐味といえる。
演出されていると思われるショットでも、その境目を勘付かせず、虚実を巧みに入り混じらせる様。反対に、演出無しにそのまま捉えられたショーなどの、現実ならではの生々しい迫力。「今」「ここ」で事象が起こっているという事件性。それらを兼ね備えた本作は、ドキュメンタリー映画の傑作と呼ぶに相応しい出来だと考える。これは柳町光男の最高作と思う。
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